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長所すら改善する

ゆる体操コラム

みなさんこんにちは。このサイトを訪れる方は日頃からゆる体操、高度運動科学のトレーニングに親しんでいる事と思います。

さて、ゆる体操でも高度運動科学のトレーニングでも、高く目標を置く方にとっては目指すところは「ゆるんだ身体」であり、結果としての様々な分野での「上達」です。ちなみに健康志向の方も、より健康になる、または老化に負けないゆるんだ身体を作る、という意味では健康に対する「上達」が目的と言えますよね。
しかし、本当にゆるんだ身体を手に入れるには現代人にとって様々な障害があります。
以前コラムでお話した「代償性拘束」もその一つですね。

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そのコラムでは、その代償性拘束がどうして改善されないかというと、それがスティフな、拘束された身体がもつ根源的な特徴であるから、という話をしました。
しかしこれに関連して他にも上達を阻害する様々な要因があります。その一つに

その人の長所が上達を邪魔している

という現象があります。

え?長所を伸ばすのが何事でも大事なのではないの?

と思われた方も多いと思いますが、これは身体が固まっている状態(=スティフ)な段階では実は長所といっても身体意識的にはそれが具体的な拘束と結びついている事が多いので、長所に拘りすぎると上達が一定のところで止まってしまってフリーの世界に入れない場合があるのです。

今回は本当の上達に必須不可欠な「長所の改善」についてお話してみたいと思います。

上達と「上達限界」

さて、あなたが何かについて上達したいと思うとします。

スポーツでもアートでも家事でも学校の勉強でもなんでも構いませんが、しばらくやっていると得意不得意、長所短所が次第に表れてきます。

例えばサッカーならドリブルは得意だけど良いタイミングでパスを出すのが苦手、とかですね。
趣味のレベルでやるなら得意なドリブルをいかして活躍すれば良いのでしょう。
しかしそこからさらに上の段階へ行きたいのならばそうは行きません。

パスの出せないドリブラーなど、草サッカーでしか通用しませんし、もちろんその逆も然りでドリブルが下手なパサーなど現実には使えないでしょう。

というわけで、良い指導者ならなんとか短所を克服させようとあの手この手を使ってそれに気づかせようとします。
そうやっているうちにサッカーなら段々と緊迫したゴール前の攻防でも周りが見えるようになってきて、効果的なパスやドリブルが出来るようになってきます。

これが上達するという事の醍醐味です。

しかしある程度やっていくとどうしてもその人なりの限界というものがやってきます。
頭ではわかっているのだけど、本当に強い相手になるとどうしてもボールを持ちすぎてしまうとか、そこで一人かわせば大チャンスになるのにパスを出してしまうとかですね。

もちろんその人がどこまで目指すのか?というモチベーションでも結果には大きな影響がでるでしょう。しかし実際は興味を持って始めてみて、色々工夫しても苦手なものが苦手としてなんとなく残ってしまうと、モチベーションそのものが下がってしまって、ある程度で満足、もしくは諦めてしまうということになってしまうのだと思います。
それが趣味のレベルだろうとプロのレベルだろうと結局は同じ事です。
要するにモチベーションそのものも本質的にはそれが出来るかどうかはすでに潜在能力(=本質力)があるかどうかに決まってしまうのです。

「本質力」について知りたい方は・・・

しかし運動科学は上達の限界を克服するための方法です。具体的にはゆる体操、ゆるトレーニング、達人調整等がその方法です。ではそれらの力を借りてさらなる上の世界を見るには何が必要なのでしょうか?

長所が上達限界を生む?

先程苦手の克服という話をしましたが、実は長所があるために苦手の克服ができない、それ以上の上達が見込めないという現象があります。

しかし単純に長所といっても、一般での意味では内容が非常に大雑把で、例えばサッカーでドリブルが得意でもパスが上手な場合でも、それは単なる記号的な意味であって、運動科学の見地から見るとその中身には大変な違いがあったりするのです。

ですから様々な事について頭打ちになってしまった場合、もしくは頭打ちになりそうな場合、「長所」の中身を見直し、その質(本質力の構造)を「改善」しないと上達が見込めない状況があるのです。

その状況とは一体なんでしょうか?
これは本当に様々な場合が考えられますが、私は一つは先のコラムで述べた代償性拘束という現象が大きな問題になっている場合があると考えています。

つまりその人の「長所」がどこかの拘束を代償として成り立っているような場合です。
言い換えるとその人が全体としてまだフリーのレベルでは無い場合とも言えます。

具体的に例を挙げてみましょう。
例えばドリブラーの場合、一番簡単な例で言えば上半身を固めて下半身を動かしているような場合です。

非常に単純な例で言うと下半身を動かすために上半身を土台にしてしまうと、当然首まわりや眼筋も固まってしまうので視野が狭くなります。

ボールを扱う技術はある程度あっても、パスを出したりするのに必要な視野の広さやゲーム全体に対するインテリジェンスがなくなってしまうので、独りよがりなプレーが増えてしまうのです。
上半身がゆるんでいて上軸が通っているとセンターで周りが見渡せるようになりますから、具体的な技術さえあれば必要な時にドリブルで交わして必要な時にパスが出せるようになります。
そうすれば相手DFもスペースを切るのかドリブルなのかの判断をしなくてはいけなくなるので、よりドリブルの成功率も増すに違いありません。
ですから少しレベルが上がると上半身を固めて下半身をゆるめるというような代償性拘束の動きでは全く役に立たなくなります。
しかしある程度のレベルなら足捌きで通用してしまうので、それが自分の運動のシステムとなってしまっていると、なかなかそこから抜け出すことが出来ません。
ここで大事な事は身体の拘束が自分の専門種目において欠点と認識されていれば問題ないのです。なぜならば欠点と認識しているものについては自ずから改善しようと思うからです。しかしそれを長所と思ってしまっていると、そこから抜け出す事が出来なくなります。

他の競技でも見ていきましょう。格闘技の場合はどうでしょうか?
例えば上半身がゆるんでいてベストや肩包面がだんだん出来てきたとしましょう。ベストや肩包面が出来ると本当に上半身が快適になり、突きをする事自体が楽しくなります。また揉合系の技でも相手のガードをかいくぐっていく事ができるようになります。
ですからその感覚が快適で上半身の特技を生かそうとします。

ですが、下半身が良いポジションをとれないと本当に強い相手には全く通用しません。
例えばその上半身のパワーを下半身の踏ん張りから生み出しているようなレベルだとその場に居着いてしまって、簡単に相手にいいポジションを取られてしまいます。
ここは運動科学でいう「極意」でいうところの地芯やウナ・膝玉・玉芯、垂腰体等、そいうものが出来ているかいないか、バイオメカニクス的にいうと、ハムストリングス、恥骨筋、腸腰筋、横隔筋垂腰部などが、使えるレベルなのかまだ使えるレベルではないのかという事ですね。

実際に下半身の踏ん張りでなく、ある程度でも地芯に乗って突きが出せると、体を止めておかないと瞬間勝手に下半身が滑るように移動します。その時の状況にもよりますが、上半身が生み出したエネルギーが運動科学で言う「内的運動量の一致」により下半身と作用をおこして上半身と下半身がバラバラに動き出すのです。こうなると左右の足の入れ替えも自在になります。
例えば「下半身の動きを上半身に伝える」という考えは一般的に様々な運動の課題とされ、格闘技以外でも色々なところで言われています。もちろん決して間違いではなく、よりゆるんで高度に伝達できれば出来るほど、上半身の動きは高速かつパワフルになります。しかしこういう表現をすると、下半身を中心とする意識が生まれやすく、格闘技においてはセンスの良い人以外は居着いた動きになりやすいのです。
これも上達の為の「上達言語」(この場合は「下半身の動きを上半身に伝える」という上達の為の教え)がかえってある程度以上の上達を阻害するという意味で「長所の改善」と深く関わっている現象です。その事で得た上達で結果が出てしまうと、その上を想像できなくなるという言語の本質的な性質からくる制約とも言えます。
ですから中心は上半身でも下半身でもなく、その時々で移動するもの(これを多重中心構造といいます)であり、それらの中心を全て束ねるものがあるとすれば、地芯と軸(=センター)しかありません。
少し話がそれましたが、このようにもし上半身のレベルが自分と同レベルで、地芯が使える人が相手だと、その人が同じように具体力の訓練を積んでいれば、全く歯が立たないでしょう。

ちなみに現在ボクシング界を揺るがす活躍を見せている井上尚弥選手は、まさにそのような高度な動きが歴戦の強者のプレッシャーの中でも出来てしまっている選手ですが、初のダウンを喰らったラウンドは(私などが言うのは失礼でしょうが)いつもより脚が居着いているように見えました。
その後1ラウンドで修正してしまうのがむしろ彼の天才性を物語っているのですが。

話を戻しましょう。
このように自分が得意(と思っている)事をしていると、その人は快適な「感じ」がするのでどうしてもそれがやりたくなってしまうものです。しかしその人の得意分野が何らかの拘束と結びついている場合は、得意な分だけそれ以上の上達が見込めなくなってしまいます。
というよりもはっきり言うと、現代人の99.9%は拘束されたスティフな運動構造をしていますから、運動科学的な見地で言うと、ほとんどの長所は上達の妨げになります。

上で挙げた具体的な例は一例で、人によって色々なパターンがあり、その様相はまさに千差万別です。もちろんプロレベルではそのような段階の人はかなり減るでしょうが、それでもプロならプロのレベルで何処に拘束が残っていて何処がゆるんでいるのかいないのか、というところでその人の上達の限界は生まれてしまいます。 逆にいうとそこをゆるめることが出来れば、そしてゆるむことでさらに地芯に乗る事ができれば、上達限界を突破できる可能性が誰にでもあるという事です。 現にサッカー史上最高の選手として名高いメッシは、全盛期のさらに絶好調の時は戦術的・技術的にいくら対策をしても常に関係なくその上をいっていました。という事は他の選手が具体的な対策をしてもどうしようもない程メッシは他の誰よりもゆるんで地芯に乗っていたという事です

1試合で5ゴールを決めたメッシ伝説のプレー この日のメッシは常にどの瞬間でも地芯に乗れていたと言われる

一流のプロのようにフリーなレベルの選手同士でもメッシとの間がそうなってしまうのですから、スティフなレベルではいくらでも上達できる要素はあるはずです。それを邪魔しているのが普通のスティフなレベルでの長所の可能性があるというわけです。
要するにスティフなレベルでは一般的に良いと思われているような事でも、それが実は根深い拘束と結びついている場合が多いので、それが邪魔になって上達が止まってしまう時が必ずやってきます。

身近な例でいうと「頑張り屋」という言葉は、一般的には褒め言葉として使われていますが、頑張るという言葉自体が少し拘束的な感じがしますね。

こういった特徴は普通は長所として認識されてきました(令和の時代はそうでもなさそうですが)から、まさかそれが上達を阻害している原因だとは本人はおもいません。しかし「頑張った」からと言って上達出来るかどうかの保証などはっきり言ってゼロです。
頑張ることが上達に繋がることもありますが、頑張ることと上達することは本質的には別のものです。
現実にゆる体操や高度運動科学のトレーニングを続けていると、そういった長所と思っている自分の動きがある段階になると邪魔になって上達できなくなる場合があるのですね。

実際に私は、私よりはるかにゆるむ才能があるにも拘らず、自分のそれまでの長所がそれ以上の上達にとって足枷になっていることに気づかずに、上達限界を越えられず運動科学のトレーニングを辞めていった人達を何人も見ています。

それはそうでしょう。何せ長所が優れていればいる(と思っている)ほど、それが自分の存在意義になっているので、そこを否定されると本人にとっては立場がありませんよね。

しかし、スティフな段階での長所などは早晩通用しなくなるのは目に見えているので、なんとかして改善したいところなのですが、指導者から指摘されても本人としてはそこを指摘されるのは(長所と思っている以上は)非常に気分が悪いので、なかなか素直に受け入れることが出来ません。

こういう場合は指導者が生な指摘をしても難しい場合が多いです。
ドリブルが得意で自分も自信を持っている少年に対して

「お前、だいたいボール持ちすぎなんだよ。それじゃ上では通用しないよ」

なんてことを何の脈絡もなく言ってしまったら、本人は気分が悪いでしょう。
本人が言われて、まさにそうなのだというタイミングで言わなければ意味がありません。
自分の長所が身体全体のシステムとしてパフォーマンスの幅を狭めている事に本人が気づかなくてはいけませんし、指導者はそれに気づくように促していくような指導が必要なのでしょう。

あえて厳しい指導をして、生き残ったものが優秀という考え方もあるのでしょうが、それでは脱落した人はたまったものではありませんね。本人の認識ももちろん大事ですが、指導者の責任も問われるところだと思います。

プロの世界なら結果が全てですので、何回も頭打ちになりながら気付けばよいのですが、逆にもっとも成長できる時期の数年の間にその修正がうまくいくかは大変に難しいところです。

ではどうすれば良いのか

結局のところ長所と言われるものを持っていても、それ以上になりたい、どこまでも上達したいと思うのなら、自分の力んでいる(運動科学の用語では「拘束された」)部位をゆる体操や高度運動科学トレーニングではっきりと自覚して、それを解体する努力をしなければなりません。
それはどのレベルの人でも同じです。長所を生かしていても、いつの間にか頭打ちになってしまうのは必ず具体的に何かの拘束が対応しているからなのです。
人間というものは自分の身体のこと全てがわかるわけでは当然ありません。
ですから自分の限界も何が理由になっているか自分ではわからないことの方が多いのです。身体の拘束も最初は自分では気付くことが出来ません。
ではゆる体操はどうして気づかない部分の拘束を取ることが出来るのかというと、それは身体をゆらすからです。動かせる部分からゆらしていくと、そのゆれが伝わっていって動かない部分もゆらされます。
ゆるめる事が大事であることは現代では認識されつつありますが、その方法としてゆらす(さするも)事以外ではおそらく身体をゆるめることは出来ません。
そうやって身体をゆらす事によって、結果的に自分では気づかない拘束が自然と取れていきます。
しかし最初はそれすらも気付きません。ただなんとなく気持ちいいとか、疲労が取れた、とかそんな感じがします。
そうやっていままで動かなかったところが自然に動かされるようになると、ある時脳の顕在意識に上ってきて、そこが拘束されていたということがわかるようになります。
そうなってくると、今度はそこをなんとかゆるませようとします。
そして自分の体でありながら、動かせないところがあるという事はっきりと理解できるようになると、それまで自分が出来なかった事が、結局のところ何かの拘束が原因である事がわかるようになるのです。
するとスティフなレベルでは自分が長所だと思っていた事すら、大きな拘束の一部であるという事に気付きます。
こういうことをなん度が繰り返していると、もう、普通の意味での長所や、さらにはプラス思考などという言葉にはあまり意味が無いことに気づいてきます。
私などにはむしろ邪魔に感じることの方が多いです。
ですから出来ることは地道に拘束をとる事です。
そして拘束がとれればとれるほど、しっかりと具体力のトレーニングをしていれば、身体がその時に応じて勝手に反応して良いプレーが出てくるようになります。
動物の世界はいちいち考えて戦略・戦術を立てて、というふうには行動していません。
人間もそのような能力をベースにして進化したのですから、ゆるめば今まで出来なかったことも出来るようになります。
もちろんそういうベースの能力の上に人間らしい思考が矛盾なく乗るようになっていくと、人として素晴らしい存在になれるのは間違いありません。

私の場合

少し私の話をしてみます。

私などはどちらかといえば物事を論理的、分析的に考えるタイプで、しかも行き詰まるとエイ!っとなって突っ走るような部分もあるのですが、それらはそれまで長所として働いてきた(と少なくとも自分では思っていた)ので、長所を伸ばせば良いと思っていた自分にとってはそれが様々な事の足枷になっているなどとは夢にも思っていませんでした。

しかもゆる体操を始めて最初のうちは、その長所がさらに長所として生きるようになっていたのでなおさら自信を持ったものです。

しかしある時、何事も論理的に考えて、しかも行き詰まるととりあえず突っ走るような幼稚な性格では、とてもフリーな世界へは入れないという事に気づいたのです。

具体的にいうと、分析しすぎることで身体が固まってしまうと言うことがありますし、そもそも分析したところで身体はそのようには動いてくれないという事実があります。

人間の身体はコンピュータのように要素還元的な思考では思うように動いてくれません。

さらに行き詰まったからと言って突っ走ってしまっては上手くいくかどうかは運次第です(ゆるんでいれば上手くいってしまう事もあるのですが、あくまでゆるんでいれば、の話です)。

長所であるが故に、それに固執してしまって、長所が上達を阻害してしまっていたのですね。明らかに「木を見て森を見ず」の状態になってしまっていました。
さらに言うと、そんなものはゆるんだ、フリーなレベルから見れば実は長所でもなんでもなかったという事です。

ですが、具体的にどうすれば良いか、というとそれはもう収集がつかないほど様々な拘束が原因となって自分の「長所」を支えているのです。

ですから一つの方法では上達できないのです。様々な箇所をゆるめて良い身体意識をつくるトレーニングをしなければならないのです。

それに気づいたのがだいたい10年ぐらい前だったと記憶していますが、詳しい時期は忘れてしまいました。

気づいたところでフリーになれるわけがなく、それからのトレーニングはまさに霧の中をさまようような感じでした。

あっちを立てればこっちが立たず、という代償性拘束に悩まされたりしながら正解がわからず・・・といった感じです。

しかし、やっぱり身体がちょっとでもゆるむと快適で気分がいいので、ゆる体操は続ける訳ですが、そうしているうちに少しずつ色々な事に気づきながら、結局のところ大事なことは地芯と軸(=センター)なのだと本当の意味でわかったのはコロナ禍で世間がまだ大騒ぎだった3年前ぐらいの時でしょうか?

運動科学では地芯とセンターは専攻科の極意の講座で一番最初に学ぶ基本中の基本なのですが、私の場合は初めに得た運動科学の「知識」、が自分の生きた「認識」にかわるまでは相当な年月を要しました。

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そこからはある程度上達の方向性が見えたのでトレーニングの方向性にはあまり迷いが無くなりましたが、では認識が身体意識化してどんどん上達するのかというと、それはそれで、かなりの困難があります。
実際自分が求めるような状態で常にいるにはさらにたいへんな自己管理とトレーニングのマネージメントが必要である事がわかるようになり、それを日常生活の中でキープする事はかなり困難である事にも気付かされました。

自分の感覚としてはまるで綱渡りをするような絶妙な自己管理が必要なのです。

脳疲労もしますし、年々老化も忍び寄ってくる(老化は運動科学によって克服出来ますが、老化現象がなくなる事はありませんよね)ので、仕事が忙しくなったのと並行して攻めるところは攻めて、引くところは引くという柔軟さがないと、とてもではありませんが疲労ですぐに身体が拘縮してしまい、目標達成には程遠い状態になってしまいます。

そもそも身体が拘縮し出すと、身体が正しい判断をしてくれなくなります。そうなるといくら頭でこうだと思っていても、潜在意識では身体が固まってしまうようなことをわざわざ好んでやり出したりするのですから困ったものです。いわゆる上達落下線の法則にはまってしまうのですね。

しかしそういった悪戦苦闘を続けていると少しずつゆるんできたのか、少し身の回りに変化が出てきた感じもします。

料理が上手くなったと妻には言われますし、初めて作る料理でも文字情報だけでそれなりに上手く出来てしまったり、仕事場でくだらない冗談を言っても皆さんが笑ってくれたり(!)休憩時間に自然に皆さんにコーヒーを立てて振る舞うなど(食べ物関連が多いですが・・・)客観的にみてゆるんだ行動が取れるようになってきたかもしれません。

相変わらず分析的な性格は変わらないのですが、もっとバランスが取れてきたというか、身体に任せるところは任せてというふうに、より高いレベルで物事を分析・判断できるようになってきた感じがします。

先程のサッカーの例で言えば、脚の速さを活かした縦への突破だけでなく、プレーが行き詰まる直前に効果的に味方にパスが出せたり、そもそもポジション取りの時点で相手に勝っている状況を作れるようになったというところでしょうか。

ポジション取りで相手に勝つと縦への突破が大変な脅威になりますし、そもそも脚の速さが別次元で生きるようになってきますよね。

自分の話に戻るとある時何事も理屈っぽいだけではダメだと感じ、それまでの自分を一旦は否定して(必ずしも皆が自分を否定しないと上達出来ないというわけではありませんが、私の場合はそれが必要だった気はします)トレーニングに打ち込んだ結果、ひとまわり回ってやっぱり長所は長所だったという感じです。

螺旋階段を上がって内容がより豊かになったという感じですね。

そうですね。それが最初に述べたように長所(の中身)が改善されたということです。

結果的には長所を否定するものではなく、長所はやっぱり長所なのですが、一旦は自分を見つめ直してあらゆるところに手を入れないと、どこかで上達は止まってしまうのです。

フリーの世界から見ると、スティフな段階に留まっている場合はそれでいいということは絶対にありません。

ですからより良いパフォーマンス、さらには良い身体をめざすならば常に研鑽が必要なのですが、物事をストイックに考えるだけではどうしようもありません。

今回も結構真面目に自分のことを書いていますが、ちなみに普段の私と言えば、結構おバカな性格をしております。

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高岡先生の初期の本では、真面目なのは当たり前で、大切なのは真面目かつゆるゆるということが必要なんだ、という事が書いてあります。

クソ真面目ではダメだ、ということですね。

そう考えると、大谷翔平やイチローといったスーパースターは見ていて非常に真面目に見えますが、クソ真面目には見えません。イチロー氏は現役時代はTV前で笑うことはあまりありませんでしたが、本当に笑うと顔がくしゃくしゃになります。やっぱりゆるんでいるんですよね(笑)

それが優秀な人物の意識状態なのでしょう。


運動科学の方法でトレーニングを積んで上達している人は、皆それぞれなりの工夫をされていますが、やはり基本に忠実であろうとする人は伸びていっていると思います。

さて、今回もかなり突っ込んだ内容で自分の事も含めてお話ししましたが、これはあくまで私の経験上の話であって、これが正しいので皆さんこのようにすれば間違いありません、といった話とは全く違います。
前半でサッカーのドリブル云々の話をしましたが、本当に優れた選手はトラップだけでフィールドを支配してしまうものです。
ドイツW杯時(頭突き事件の!)ジダンはワントラップでフィールドを破壊するようなパフォーマンスを見せていました。W杯が舞台なのですから、他の選手との違いは具体的なトラップ技術ではなく身体意識です。高岡先生の研究によってドイツW杯時のジダンは身体意識において大変なレベルに到達していたことがわかっていますが、本質力の差はそれほどの差を生むのです。
今回は「長所の改善」という多少意地悪な表現でお話ししましたが、ジダンやメッシの様な人たちを見ていると、我々も今の自分の得意不得意などに惑わされず、上達を目指す人すべてが本質力のトレーニングを淡々と積むべきだと思っています。

2006年ドイツW杯スペイン戦のジダン ロスタイムの得点は超絶的なゆるみが発揮された私にとってのサッカー史上最高のゴール

私も余計なことを考えなくなってから上達し出したと思っているので、今回の内容もこれからトレーニングをする人が励みや参考にする程度に考えていただいて、実際にトレーニングをするときはこういった話は一旦全部横に置いておいて、講座の中で要求されている課題に楽しくはまってされるのがベストかと思います。

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