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代償性拘束の話

ゆる体操コラム

みなさんこんにちは。ゆる体操や高度運動科学のトレーニングをしていると、体が柔らかくほぐれて動きが良くなってきますね。また代謝が良くなるので、健康なったり、スタイルが良くなったりもします。

しかし普通にやっていてはある程度のところで止まってしまい、それ以上にはなかなか取れない根深いコリ(運動科学の専門用語では拘束といいます)があることに気づきます。

気づけばまだ良いのですが、動きやすいところだけ動かしていても結構ゆるんでいる感じがするので、根深い拘束があること自体なかなか気づかなかったりします。

気づかない理由はいろいろありますが、その一つが代償性拘束です。

これはどこかをゆるめようとして、他の部分を固めてしまう、というある意味人間にとって本質的な現象です。

今回はそんな代償性拘束についてお話ししてみたいと思います。

※この文章ではトレーニング上かなり繊細な事柄についても述べていますが、それはあくまでも私が今までトレーニングを積んできて感じた「感想」であって、トレーニングの正しいやり方を示したものではありません。その点を誤解なさらないようにお願いいたします

やわらかい体とゆるんだ体

私は達人調整を仕事にしています。ですから、普段様々な人の体に接する機会があります。

ここのところよく感じることは、以前は新規のお客様に関しては結構ガチガチの体の方が多かったのですが、最近は最初から部分的にでもやわらかい体を持っている方もおられるということです。もちろんゆる体操や高度運動科学のトレーニングを教室や独習で学んでいる方が私のところに来るので、達人調整を受けてみたいと思う頃には、ある程度トレーニングが進んで、すでにやわらかい体を持っているという事なのだと思います。これは「ゆるむ」という考え方がさらに世の中に浸透しつつあるということで、大変喜ばしいことだと思います。

しかし、本当の意味で「ゆるんでいるな」と思える方はさすがになかなかおられません。

ゆるんでいるというのは体の自由度が高い、非常に奥深い状態です。ある部分の筋肉がやわらかかってもたいていそれは表面的か部分的なものに過ぎず、体の各パーツの自由度が高い状態とは言えないのです。
ではなぜこのような事が起こるのでしょうか?

上半身を使うスポーツをされている方を例にとってみましょう。

私のところに来られる調整希望の方々なら当然ゆる体操をしているので、肩甲骨まわりとかはすでにやわらかかったりします。人によっては肋骨まわりも柔らかかったりします。

しかし、それに比較して下半身は固まっていたりすることが多いのです。

またランニングが趣味で、マラソンで自己記録更新を狙って頑張っている方がいるとします。

そういう方は下半身は柔らかかったりするのです。誰でも硬い太ももの外側が柔らかかったりする人さえ最近ではおられます。しかし、こういう方はそれに反して上半身が固かったりするのです。

細かく見ていけばこういう現象はいくらでもそこらかしこに存在します。

もっともゆる体操をしていない人は年齢を重ねるにつれて固まる一方です。ですから一部分でも体のやわらかい箇所があるという状態はゆる体操をしていない人には現れません。

普通は人によってより固まる部位の癖があるぐらいで、一般的に固まりやすいところは固いのです。

しかし特に高度運動科学のトレーニングは明確な意思を持ってされる方が多いので、ある部分はやわらかいのですが、ある部分は固まったまま、といったムラが出てくるのです。
この状態は確かにトレーニングの効果が出てはいるのですが、高いレベルを目指すのならば全く通用しません。
一見ゆるんでいるように見えても、本当のところは一般の人よりもやわらかい箇所があると言うだけで、ゆるんでいるとはいえないのです。

そして私は、これらの現象を作っている原因の一つが先ほど述べた代償性拘束という現象ではないかと思っているのです。

代償性拘束

例えば学生野球のピッチャーが腕の振りを良くしたいと思いトレーニングにゆる体操を導入するとします。

腕の振りをよくしたいと思っているので上半身のゆる体操に取り組まれるという場合が多いでしょう。やっているうちにだんだんと自分の腕の振りを妨げている拘束がわかるようになってきます。ゆる体操の腕プラーン体操や肘クルン体操などは中身は奥深いですが、運動構造は少なくとも投球動作よりは簡単なので、そういう部分に気づきやすいのです。

達人調整も効果的ですね。以前私は高校野球の強豪チームのピッチャーの方に調整をしたことがありましたが、腕がゆるんだのが感じられたのか、

「これ、チームで他の人にやってもらったらいいんですか?」

と聞かれたこともありました(誰でもできたら、自分が調整師やっている意味がありませんが・・・)。

そうやってやっているうちにだんだんとゆるんできた感じがしてきます。実際に上肢の筋肉も柔らかくなってきます。球速も上がってくるかもしれません。しかし、ある程度までくると、段々と変化の度合いが緩やかになり、上達速度が鈍ってきます(本当のことをいうとここで上達速度が鈍っているということに気づく人はまだ優秀です。ほとんどの人はそれなりにうまくいっていると思ってしまうのです)。

さらに一生懸命ゆる体操に取り組んでも最終的には上達が止まったように感じられ、人によっては

「これがゆる体操の限界なのかな?」

と思って、別のメソッドを始めたりするのです。別のメソッドに取り組むと、脳は新しいトレーニングを新鮮味を持って受け入れられるので、自然と気持ちはそっちに向かっていき、ゆる体操をしなくなったりします。

しかし、こういう場合は他のメソッドをやっても結局は同じで、そのメソッドの限界がすぐにくるので、また別のメソッドに手を出したりして、結局のところあっちこっち手を出すだけでもう上達はそこまで、となってしまったりします。

このようなことはよくあることなのですが、なぜある程度までくるとゆるまなくなるのかというと、その大きな理由の一つが代償性拘束です。

先ほどの野球の例で言うと上半身をゆるめるために下半身を固めているというパターンが原因だったりします。

体をゆするとどんな人でもゆすられた部位がゆるんできます。ですから最初は上半身をゆるめるのに、下半身を固めても上半身はそれなりに柔らかくなり、ゆるんできている感じがします。実際に上半身の自由度は増すので、ある程度ゆるんできているといってもいいのでしょう。

しかしそれも下半身を固めて、頑丈な土台にして腕を振っているような状態だと本当にゆるんでいるとはいえないでしょう。
そもそも下半身もズルズルにゆるんでいる状態でないと、体重移動で発生した運動量が効率的に上半身に伝わっていかないので、ピッチャーとしては高いレベルにあるといえません。

むしろピッチャーは野球というスポーツの中で下半身を大きく使う事が許されているので、この点に関しては気づきやすいかもしれません。しかしもし内野のダイヤモンドの一辺の長さがあと1m短かいとしたら、盗塁が容易くなるので下半身を大きく使うことは許されないでしょう。そうなると下半身の動きの悪さにはより気づきにくくなるかもしれません。
こういうふうにさらに厳しい状況になると代償性拘束はより強く働くようになります。

この点で言うと、打撃系の格闘技などはモーションを小さくする必要があるのでどうしても下半身を固めて腕を振ろうとしてしまうものです。これは昔の言葉で「脚が死んでいる」とか「歩が生きていない」とか言われる状態で実際には役に立たないものとされてきました。

格闘技でもなんでも本当に優秀な選手は下半身も柔らかく動くものなのです。

ですから、できる人から見ているともう少し下半身の粘りや柔らかさがあれば、ということは見えるのですが、本人は並行してそれをやっているつもりでも、本当にはその重要性を理解できずに、相対的にそちらが疎かになってしまうのです。

そうするうちに腕の柔らかさだけではできる限界がやってきて、そこで上達は終了ということになってしまいます。

サッカーでは、野球とは逆に足の力を抜こうとして上半身を固めてしまう例がよく見られます。これも代償性拘束です。
日本代表クラスの選手でも調子が悪い時はそういう状態になったりしていますが、そういう選手は一部のファンの間では評判がよくても、なかなかレギュラーに定着できなかったりするものです。
高岡先生のサッカー関連の本では「肩包体」といって上半身の重要な身体意識が紹介されていますが、これはサッカーというスポーツが足の器用さなどでできるようなものではなく、本質力のレベルでは全身の問題であるということを示しています。

先ほど「ゆる体操の限界」という言葉を使いましたが、ゆる体操の限界ではなくそれを認識できない自分の「脳の限界」なのです。指導者がいる場合はもちろん指導者の認識能力・指導能力の問題となります。

(この限界を打ち破るシステムも実はゆる体操に組みこまれているのですが、その話題はまた別の機会にしたいと思います。ご興味のある方は以下の記事がヒントになるかもしれません)

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次はさらにこの部分について突っ込んでいきましょう。

代償性拘束はなぜ取れないのか

代償性拘束はなぜ取れないのでしょうか?

それは根本的には立位や座位といった人間の基本的な姿勢の取り方の問題が大きな部分を占めています。

基本姿勢を取る脳のプログラムはフリーフルクラムかスティフフルクラムの二つのシステムに大別されます。

前者はゆるんで重心を常に感知し続けることで姿勢を保とうとするシステム、後者は体を固めて倒れないように大雑把に姿勢を保とうとするシステムです。

例えば、「反り腰」という言葉があります。最近一般にも認識されるようになりましたが、これは腰が必要以上に反っている状態のことを言います。要するに腰背筋が力んでいる状態ですね。

「反り腰」は典型的にスティフなシステムといえます。

こういう癖がある場合、立っていても座っていても腰に楔のような意識の中心があり、その意識で持って体を支えているため、その部位の力が抜こうとしてもどうしても抜けない、という状態になります。

なぜならば、そこで体を支えているのでそこの力を抜くと立てなくなってしまうからです。

このようにある部位に強力に固まった身体意識が形成されているとそこに頼ってしまい、どうしてもそこをがっしりと固定した土台にして動かそうという潜在的な意識状態になってしまいます。

そして、自分の固まった部位をなんとかゆるめていこうとして奮闘していくと、一時的にそこはゆるんでいくのですが、いつの間にか別の部位が固まっているのに気づいたりします。

「連動」といって、体の各パーツがお互いに連関し合う事が良い運動構造と言われますが、実は拘束も連動します。そうやって拘束同士が連動しあって、スティフルクラムという一つの運動プログラムを脳に作り上げているのです。

ですから一箇所の拘束がそれだけで存在しているということはあまりなく、他の部位と連動してスティフな身体をシステムとして作っているのです。

というわけでスティフなシステムというものは、ある箇所の拘束に気づいてそれを解体しようと思っても、その行為自体に別の拘束を利用してしまうという、大きな特徴があります。根本的なのプログラムがそうなっているので、顕在意識ではなかなか気づくことができません。

つまり代償性拘束はより根本的で潜在的な脳の運動制御システムと結びついているので、指摘されるか格別の知識がないと自分で気づくことはほぼ不可能といえます。

これはスティフなシステムの呪縛とも言っても過言ではないでしょう。

スティフなシステムとフリーなシステムとはどういったものなのでしょうか?
これをスマートフォンに例えて見ましょう。
スマートフォンで使うアプリは人間の動きに例えて言うと具体力になります。テニスでは腕をどう使うとか、楽器では指をどう使うとか、といった段階の話です。それに比べて本質力はOSに相当します。
例えば最初からAndroid対応機種を使っている人はスマートフォンの操作自体がそういうものだと思っているので、Android以外を使ってみないとAndroidそのものの操作性がどうかという判断はできないでしょう。しかし例えばiPhoneに機種変更してみるとそれまで何気なく使っていた自分の機種を裏からコントロールしているOSの存在を意識するようになり、それぞれの長所と短所に気づくようになってきます。それと同じで、その人を支配しているOSがスティフシステムだった場合はそれしか経験したことがないので、フリーシステムが一体どういうものなのかが全く想像すらできません。
スマホの場合はどちらでも好きな方を選べば良いのですが(ちなみにモバイルをApple、PCをWindowsにしている私はいつもこの違いにイライラしています・・・)、残念ながら、人間の人体を支配しているフリーシステムとスティフシステムというOSでは、フリーな方がはっきりと性能が良いので、選択肢はありません。しかもフリーとスティフはフリー側の完全な上位互換です。フリーの人物はスティフの人物の欠点、弱点はすぐに分かりますが、一つの機種しか使った事が無い人がそれ以外の基準がわからないように、スティフな人はフリーな状態がどういうものなのか全く分かりません。

それでもトレーニングを続けているとそのスティフなシステムに自分が支配されていることに気づくことがあります。もちろんそれに気づくと、ある部位の拘束を解体するトレーニングをする時に別の部位が固まらないように注意するようになります。

そのようにさらに奮闘努力(ゆるという言葉には似合わない語感ですが、実感としてはやっぱりこんな感じですよね・・・)していっても、あちらを立てればこちらがたたず、という状態からなかなか抜け出すことができないのです。

結局のところ、どこかをゆるめようとしてもスティフなシステムをベースに持っている人は潜在的に体のどこかに固定された土台がないと運動ができないようになっているので、無意識のうちに延々と土台を作り続けてしまうのですね。

これでは本当にゆるんだ状態を作ることは到底無理ということになります。

体のある部分がやわらかいといっても、独学でゆる体操や高度運動科学のトレーニングをしている人はこの段階に留まることが多いです。ただし何のアプローチもしない人々と比べると、この段階でも体は以前よりはずっと快適になりますし、日常の活動レベルは驚くほど上がります。

下半身がやわらかい人はどこにいくのでも歩いていくことが気にならないし、上半身がやわらかい人は趣味のレベルなら何をやってもある程度は上達するでしょう。

しかし、まだ運動としてはスティフなシステムの段階なので、ゆるんでいるとはいえない状況です。

了平コラム
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何かを見るだけで固まる

私のような普通の人物にとって、どれだけスティフルクラムの呪縛が強いかという話をします。
なんと、私などは何かを凝視するだけで拘束背芯にスイッチが入ってしまいます。
例えばこの記事を書いているときなど、ですね。
PC画面を見るだけで、拘束背芯に強力にスイッチが入ってしまうのです。
これは典型的に五輪書に言われている「見の目」と言われる状態で、何かをじっと見ると体が固まってしまって動けなくなるので、それを宮本武蔵は諌めているわけです。
これも代償性拘束の一種なのでしょう。
つまり見るという軽微な運動ですら、何処かを支点にしないとできないという、スティフなプログラムの影響だと考えられます。 なので五輪書にあるような「観の目」の状態でないと、本当にフリーな状態は維持できません。
以前高岡先生が連載されている武術専門誌月刊「秘伝」で観の目に関する身体意識図が公開されていたことがありましたが、「観の目」とは目だけでなく全身に及ぶ壮大な身体意識でした。 もちろんある程度できている、という状態からその身体意識図のように完全にできているといった状態まで段階もあるのでしょうが、この身体意識図をみると「物を見る」という何気ない動作でも、実は全身の問題であることがわかります。 私などはまさしく今この原稿を書いている時点でできるだけ拘束背芯が固まらないようにしているのですが、そのほうが、周りの音や同じ車内(この原稿は電車の中で書いています)にいる人々の何気ない動作が感じられますし、何より自分が楽なのがわかります。 しかし、やはりうっかりするとすぐ目の前のPCだけに意識がいってしまいそうになるのです。これが物を見たり思考したりする時のスティフな人間の呪縛とも言えるのでしょうね。
先ほど「凝視」という言葉を使いましたが、これは「凝る」という字が入っているので、そもそもスティフな状態を表した言葉なのですね。そういう意味では現象の本質を表した”良い”言葉だと思います。 ちなみに高岡先生は 「難しい問題にあたれば当たるほど体がゆるんでどんどん高重心になってくる」 とおっしゃっていました。
私もいつかそうなりたいものだと思います。

代償性拘束を破るには

さて代償性拘束を打ち破るようにゆるを進めていくには、やはり正しい知識に則って、正しい指導者の指導の下、地道にトレーニングをするしかないのですが、根本を突き詰めるとそれは立ち方の問題となります。

立ち方というと大きなポイントとなるのはやはり軸(=センター)と地芯です。

軸(=センター)を強化するには、体を深くゆるめることと、センターそのものを強化するメソッドに取り組むことが二つの柱になります。

スティフなシステムでは、固定土台が基本です。
どこかをゆるめようとするたびに他の拘束された土台を作ってそれが勝手に運動の中心として作動してしまい、いつまでたっても拘束が取れません。

しかし本当のことをいうとこの新たに作られた拘束的な土台も、実は常に自分の中にあって普段は気づいていないようなものである場合が多いです。

「ではどこを中心にすればいいんだよ!」

という声が聞こえてきそうですが、皆さんもうお分かりの通りそれが軸、なのですね。

軸(=センター)特に第3軸は誰にでも存在する「重力線」を最も効率的にコントロールする身体意識です。

ですので第3軸に意識が通ると、もっとも効率的に重力線をコントロールするので、まさに理想的に無駄な力が抜けた状態で立てるようになります。

感覚としてはどこにも力が入っていない状態、まさにゆるんでいる、という感覚がします。

しかし最初は軸(=センター)を意識してもイメージの産物でしかなく、その効果は0ではないにしてもわずかなものにとどまります。

センタートレーニングには様々なアプローチがあります。一つのことをやっているだけではセンターはできません。これだけやっていれば良い、というようなものではないのです。

実際にゆる体操には、センターと全然関係なさそうな体操の中にもセンターができるようなシステムが組み込まれています。

高度運動科学のトレーニングサイトでもトップセンターの講座だけで何種類もの系統があります。

この多角的なトレーニングシステムそのものも代償性拘束を破る仕組みになっていると考えられます。

そうやって様々な面から取り組んでいくと、ゆるんだ身体の中にゆらぎが生まれ、そのゆらぎの中に本当のセンターらしきものがうっすらと感じられるようになってきます(今の私もおそらくこの段階でしょう)。

自分で意識して作ろうとすると、センターの中でも特に垂軸(正確に言うと垂軸のうちでも重線)は一瞬で消えてしまいます。

ちなみに数年前までは私もトレーニング中にセンターを作ろう作ろうとしていましたが、ある程度トレーニングが進んだのか、現在は軸(=センター)は体がゆるんでいる時にスーッと”感じられる”ものであって、自分で意識して一生懸命作ろうとするものではない感じがします。これもまた変わってくるのかもしれませんが。

ですからゆるんでいることが大前提なのです。

このように軸(=センター)が感じられるようになると軸の方から体の色々な拘束が見えるようになってきます。センターが体の拘束を教えてくれるという感じです。

厳密にいうと拘束が強い部分はセンターが通ってはいないのでしょうが、近辺の比較的センターが通っている部分がそれを教えてくれるといった感じでしょうか。

そこの拘束を取ろうと体をゆすってみると、ゆらゆらゆれるのはゆれるのですが、ややもすると拘束されている部分がゆれてゆるむのではなく、実際のところは別の拘束が中心となって体をゆすっているのがわかります。

この状態でやれている気になってしまうと、せっかく育とうとしているセンターがやはり一瞬にして消えてしまうのです。

そこに注意しながらトレーニングを進めていると、ゆすろうと思ってもゆすれないという自分を支配しているスティフなシステムが実体を持って感じられるようになってくるのです。

拘束を土台にして体をゆするというシステムが実際に存在するのが手に取るようにわかるのです(それがわかってもできないところがミソですけど・・・)。

こう思うと、スポーツや舞踊のスーパースター達が今まさに精神的にも肉体的にもプレッシャーを受けながらの状況で、センターが自然にキープされながらプレイしている様子を見るといかにすごいことであるかと感心させられます。

このようにゆるむ→センターが少しずつ形成される→よりゆるむ→センターがさらに形成される→・・・のような一種のアルゴリズムのようなものでゆるみと軸(=センター)を強化していくわけです。

そうなってくると結局のところ、人間が立つという「行為」はセンターしか頼りになるものはないし、どこかを支えにしてとか、どこの筋肉をどう使ってとかではなく、センターかそれをさらに根本から支える地芯以外には頼りになるものはないと言えます。
私などは20年以上やってきて、ようやくその事に実感を持って感動できるようになってきました。と同時にスティフな身体のあり方についても、自分を潜在意識下で縛っているそのようなシステムの存在そのものにある種の感動を覚える時もあります。

この軸(=センター)強化のアルゴリズムはアルゴリズムであるために精度を上げたいならば延々と(おそらく死ぬまで!)続けなければなりません。

ですからどこまでやるかは全くその方の意思です。もちろん地芯に乗ってそこから立ち上がるセンターに身体がコントロールされるような状態と言うのは地球上に生きる動物として根本的な矛盾がありませんから、誰だって身につければ良いものです。しかし、現実は実生活との兼ね合いがあるのでそこまで自分を追い込めるか、という問題はあります。

そこで時々間違ったりしながら、少しずつ精度が上がっていくと、初めは自分を支配しているスティフなシステムに時々ゲンナリ(笑)しながらもなんとなく実感としてもセンターしか頼りになるものはないのだなぁと思うようになってくるのです。

とはいっても、人間はすぐにスティフに戻ろうとする性質があるので、まさに行ったり来たりの状態になるのですが・・・。

というわけで、根深い代償性拘束を取るにはやはり地芯と軸(=センター)の重要性と、飽きずに丁寧に

ゆるむ→センターが形成される→さらにゆるむ→さらにセンターが強く形成される

というアルゴリズム(みたいなもの)を繰り返していくことが大事だということですね。

だからと言って同じことをやっていると脳は飽きてしまうので、もちろん各身体意識のトレーニングも大事で、例えばいくらやっても体幹上部のセンターが通らないというときに、肩包体のトレーニングをすると、ああーそうか、センターと肩包体の関係はこうなっているのかー、みたいな感じでわかってしまうこともあります。

ちなみに天才さんはこれ一発で身についてしまうのですが、私のような凡人さんは次の日になるともうわからなくなり、イメージで肩包体らしきものをそこに作って満足してしまうのです・・・。

それに老化現象が加わってくるのですから、凡人さんは結構大変ですよね。

しかし天才さんにも老化現象はありますから、自分の天性ばかりに頼っているとスランプに陥った時に改善することができません。全てを潜在意識に頼ってしまうとそれは脆弱なものでしかないのです。

ですからあくまで上達を目指すならば、丁寧に無理なく日々淡々と行うことが私のような凡人さんだけでなく天才さんにも必要なのだと思います。

あとは結果が判断してくれます。以前できなかった事ができるようになれば、それは以前よりゆるんでいるのです。

最後に

さて今回はかなり突っ込んで自分のトレーニングの内観の話までしましたが、最初に述べたようにこれらの話題は私が20年以上トレーニングをしてきて抱いた「感想」であって、自分の色々な経験や情報から現在「こうではないかな」と思っている事です。しかし実感として高岡先生の初期の著作である「極意と人間」や運動科学の中心となる大著「究極の身体」に書かれていた事に実感が徐々に近づいてきている気がするので、大筋では間違っていないような気がしています。私などは上達は遅いほうかもしれませんが、大事な事は誰でも上達できるということです。

究極の身体

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振り返って思うことは、結局このようなことは最初から高岡先生が述べてきたことなのですが、ようやくそれが実感として感じられるようになってきた、ということでしょうか。
ただし気をつけないといけないことは、運動科学の理論は基本的にこの記事のような個人の感想で成り立っているものではなく、身体意識やバイオメカニクス、さらには言語学等をはじめとした、人類の共通言語(厳密に言うと「身体意識」という概念が共通言語になるのはもう少し先の話になりそうですが・・・)で出来上がっています。
例えば「地芯」を身につけるためのトレーニングは色々ありますが、「地芯」という身体意識は「地球の重力の中心が身体意識化されたもの」という定義でしか表現できません。しかし「地芯」をどう感じるか、また地芯に乗れている状態がどのような感じかということは個人によってある程度のブレを含みます。ですから「地芯」はこんな感じだ、というような個人の感想を頼りにすることはトレーニングの妨げになる可能性があります。
ですから、この文章に書かれていることはあくまで参考か息抜き、または今からトレーニングを始める人には励みにしていただく程度にして、実際にご自分でトレーニングをされるときはこのような余計な情報は一切忘れて、トレーニングそのものに打ち込んでいただけたらと思います。私もできるだけ自分や周りの情報に惑わされないようにやっているつもりですが、自分の良い感覚でさえも常にリセットして新しい気持ちで打ち込む事が運動科学のトレーニングには必須である、ということも最後にお伝えしておきたいと思います。

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