ゆる体操、ゆるトレでは「下位脳」が疲労することがあります。
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日本サッカー界は何をしているのか!
先日僕のTwitterアカウントでこんなツィートをしました。
私はこのリンク先の記事を見て、色々な意味で
「これはまずい」
と思いました。
今回はこのことについてTwitterでは書ききれなかった事を書きたいと思います。
代表のスタッフは何をしていたのか?
まずこの写真の内容です。この写真から何が読み取れるでしょうか。
ちょうどメキシコの7番(ルイス・ロモ選手)との2ショットになっているので2人を比べてみましょう。
- 久保選手の方が重心の位置が明らかに低い
- 久保選手の腰が落ちて、接地している左足よりはるか後方に残ってしまっている
- 1、2の作用により、典型的な「もも前派」になってしまっている
- 1〜3の作用により、全身に力みが出てしまっており、メキシコの7番に比べて顔の表情につらさが見られる。
私は試合を見られなかったのですが、日本が1−3で敗れてメダルを逃した試合でした。
彼は海外で活躍している選手なので私は普段の久保選手をそれほど見ていませんが、海外の一流クラブの下部組織で育った選手ということを考えると、いくらなんでもこれが普段の状態ではないと言うことは予想できます。
ただし、グループリーグの彼を見た時、今回はそれほど状態が良くないのではないか?と思っていました。
体の柔らかさはまだあるんですが、軸(=センター)がパッとしない印象を受けたからです。
しかし、繰り返しますがグループリーグでのシュートのシーンなど見ていると、当初はここまで状態が悪いという感じではなかったのです。
彼は今後の日本サッカー界を背負う選手として期待されています。
それだけにこの写真の状態になってしまうというのはどういうことなのでしょうか。
本人は記事中では否定していますが、疲労というのは明らかにその原因になると思います。
肉体の疲労もですが、下位脳の疲労の方も大変重要です。
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下位脳が疲労すると身体のコントロールができなくなるので身体意識のレベルが落ちてしまいます。そして下位脳の疲労は特別に体をゆるめるトレーニングをしていないと自分では気づかない場合も多いです。下位脳の疲労は選手が自分でコントロールすることはもちろん大事ですが、代表の試合では周囲がしっかりと指摘して対策を取ることが重要だと思います。
今回の久保選手についていうと具体的には体幹の裏側が固まってしまっている(特に上半身や首がキツそう)ので、軸(=センター)だけでなく中丹田や下丹田といった身体意識も弱ってしまって(中丹田や下丹田が弱ると胸部や腹部の張りがなくなってしまいます)もも前が力んでしまった結果、重心が落ちて足が接地しているポイントより腰の位置がはるか後方に残ってしまっています。
写真では少しわかりにくいという方のためにもも裏派ともも前派の走り方の違いを図で載せておきます。
イメージがつかみにくいという方はもも前派の姿勢を静止した状態でとってみてください。
後ろにひっくり返ってしまいますね。
足の接地する位置が重心に対してこんなにも前だと、後ろ向きのモーメントが発生するので前進するのに余分な筋力が必要になってしまいます。
もも裏派の場合はどうでしょうか?
一般的に人がこの姿勢を取っている時はわざわざ無意識にもも前に力をいれてブレーキをかけているので、静止はできますが、もも前の力を抜くと自然に前に進みだします。
私は日本代表クラスの選手はずいぶん前にこのジレンマの状態からは脱したと思っていたのですが、一体久保選手に何が起こってしまったのか?
サッカーというスポーツはこの矛盾した状態では90分間全力でプレーをし続けることは不可能なのです。
さらにもも前派では全身に力みが生じてしまい、思うように体が動かなくなるので精神的にも追い詰められます。
もしかしたら久保選手はほとんど根性だけで戦っている状態になってしまっていたのではなかったのでしょうか?
そうだとすると試合が終わった時の無念は大変なものだったでしょう。
前の試合が過酷だったのは承知しています。先ほど今大会は調子が良くないのでは?と言いましたが、それでもグループリーグの時はもっと良い状態でしたし、その良い状態の写真も様々なメディアで現在も確認できます。
しかし、最も大事な試合でなぜエースがこの状態になってしまったのか、疲労をとることができなかったのか。そしてスタッフは試合前に把握していたのか・・・。
試合後のコメントを見ても、本人は疲労に対して「そんなものは何にもならない。相手も疲れている中で・・・」と言っていますが、そうではないのです。
実際パフォーマンスが落ちているのです。運動科学の高度な知識などはなくても写真を見れば明らかにわかるほどにパフォーマンスが落ちているのです。
こういうことは実は深いところでは本人はわかっているものです。ですから「号泣」するのです。ただし選手は責任感や試合に出たいという気持ちが強いので心の奥底に押し込めてしまうことも多いです。
ですからこういうことは周りのスタッフがメタな視点できっちりとフォローしないといけないのです。
久保選手に何が起っていたのか、周りのスタッフはそれを理解していたのか、戦術云々の分析も大事ですが、仮に自分がもも裏派でなくても写真を見れば誰でもわかる程度の知識なのですから、JFAはスタッフの認識能力についてしっかり検証すべきだと思います。
マスコミはもっと基本的な部分の勉強を
そしてもう一つ、私としてはこちらの方がより重要と考えていますが、この記事を書いた人物がどういう意図でこの記事を掲載したのかということです。
この写真を使う意味ですね。
長い記事ではありませんが文中で久保選手の「涙」について何度も言及している内容です。
「涙があふれ出た」という言葉を2回使っています。
「涙が出る」という単純な事実とは違って、「あふれ出る」というのはある種の特別な感情がこもっている表現ですね。
つまり、この記事を書いた記者は久保選手の懸命の努力対して、同情の(もしくは悲劇のヒーローといったシチュエーションを煽る)気持ちがどこかにあるのです。
私は同情するなと言っているのではありません。
サッカーは世界で一番人気のあるスポーツですから、選手だけでなくファンや記者それぞれの意見が色々と交差するのは当然です。
もちろんそういう面からのアプローチはあって当然でしょう。
ですが、もし本当に同情するのであれば、この写真は掲載するべきではありません。
何故ならこの瞬間の久保選手は残念ながらパフォーマンスの悪さがメキシコの選手と比べて際立っているので、この写真から読み取れる情報には同情の余地が全くないからです。そしてそれは自分がゆる体操やゆるトレをやっていない人でも、基本的な運動科学の知識さえあれば判断できるレベルです。そして、運動科学の理論に基づいた「サッカーゆるトレ」に関する書籍は書店に行けば見ることができるので、一般のファンの方が知らないのは仕方がない事としても、サッカーの記事を書いているスポーツの記者なら知っていなければならない事です。
それに気づかないで掲載したとすれば、この記事を書いた人物はサッカー記者としての勉強不足を晒していることになります。
私が記者ならこの内容の文章に対してこの写真の選択はしないでしょう。
もう一度言いますが、この写真に込められている情報とは
少なくともこの時間帯の久保選手のパフォーマンスはメキシコの7番に比べて圧倒的に落ちる
ということなのです。
記者ならそれを読み取らなければなりません。
この記事の内容なら、隣のメキシコの7番と一緒に写っている写真をわざわざ掲載することは残酷すぎるのです。
なぜこのように厳しいことを言うのかというと、サッカーのように人的、金銭的にも巨大なコストをかけているスポーツなら、関わる人はあらゆる知識と正しい認識を持たないと、サッカー先進国に勝つことは難しいのです。この記事を見た少年少女のサッカー選手達はそこから正しい情報を読み取るチャンスを逃してしまいますから、この試合の反省を次の世代に引き継げなくなります。
ですので、仮に同情という面から記事を書くなら、もう少し内容にあった写真を使わなければなりません。
しかし、そのような写真をわざわざ選ぶこと自体が日本のサッカー界全体にとって良いことと言えるでしょうか。
となると、この写真を使う以上この記事の切り口そのものがすでに的を得ていないということになるのです。
万一、この写真の久保選手の表情に対して「懸命な努力もかなわず敗戦・・・」といった意図を持たせているならば、この記事を書いた記者はサッカーで仕事をしているライターなのに、運動というものの本質がまるでわかっていないということになります。
そして、さらに大武ユキさんの漫画「フットボールネーション」で言う「フォトジェニック」の意味を理解していないということになるのです。(先ほども言いましたがサッカーで飯を食う記者なら、書店のスポーツコーナーぐらいは常にチェックして、見ることのできる試合は全部見て、連載されているサッカー漫画ぐらいは全部見て当然ですよね。)
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これは断言しても良いですが、「フットボールネーション」の作者である大武ユキさんが記者ならこの写真をこのようには使わないでしょう。
例えば私のような1ファンや、サッカーをやっている少年少女がこの写真を見た場合、戦術、技術云々を置いておいて、まず真っ先に彼に異変が起こっている事を理解できなければならないのです。
メディアはそのようなことを踏まえた上で記事を書くべきだと思います。そういう意味でもこの記事と、この写真の組み合わせはよくありません。
W杯に向けて運動科学の視点からの強化を
日本のサッカーは21世紀以降格段にレベルアップし、大きな大会でも徐々に存在感を示すようになってきました。
しかし前回のW杯での日本-ベルギー戦では(その健闘が讃えられたとは言っても)日本が2点リードしたところからベルギーにスイッチが入って、逆転されてしまいました。あの時のようにお互いが完全に本気になった時のトップレベルの国と日本との差はまだまだあると考えなければなりません。
しかし、W杯のような大会でサッカー先進国(「フットボールネーション」)と90分間互角に戦うには、今回のようにもも前に頼ってしまっているほどコンディションが悪い選手がピッチにいる状況を作ってしまってはいけません。本人の本来プレーが出来ないだけでなく、高度な戦術や試合前の綿密な打ち合わせ、決め事もその通りに実行できなくなってしまいます。
現場の状況は私にはわかりませんが、スタッフが今回のこの状況とその意味を運動科学の観点から正確に把握できていなかった事が、今回の敗戦の大きな理由の一つではないかと思います。
選手のコンディションは日によって変わりますし、控えはそのためにいるのですから・・・。
このことを考えてみると、日本サッカー全体がさらにレベルアップするには、どのように試合に臨むか、選手のコンディショニングをどうするかというところでも運動科学の視点からのアプローチが不可欠だと思います。
なぜならオリンピックよりさらに厳しいW杯で万一中心選手にこのようなことが起きると、その時点で致命的な結果を招くことになるからです。
何度も言いますが、JFAのスタッフや、マスコミのサッカー番の記者の方々全員が私共のようにゆる体操やゆるトレの専門家になる必要はありません(なったほうがより良いのは間違いありませんが)。ただ運動科学の視点から選手のコンディションが判断できるようになることとは、戦術やフィジカルコントロールの面以前の最も基本的な部分なのですし、もちろん運動科学からのアプローチは個人のプレーのレベルを根本的に引き上げることになるのですから、JFAはもう一度足元から強化を見直して、そしてマスコミはそれが正しい方向かどうかを検証して次のW杯を目指していただきたいと思います。