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ゆる体操と多様性

近年「多様性」という言葉をよく聞くようになりました。

「多様性」を一言で表現するのは難しいですが、私はこのように考えています。

  • 多様性とは・・・
  • 生物、進化論的な考え方
    それぞれの個体の生存戦略の違いから生まれた各生物種の複雑性
  • 人文社会学的な考え方
    様々な内的・外的条件から生まれた国家・民族・会社等に代表される社会的なグループの差異性

しかしこの多様性、受け入れるのはなかなか困難です。というのも生存戦略の違いによる複雑性から生まれた生物的な種、さらには人間社会での組織や国家といったグループにはそれぞれ別個の利害関係が発生、存在するからです。

さらに現在はSNSの発展によって、個人の意見が大きく取り上げられるようになった結果、そのグループが細分化されつつあります。

この事自体はまさに「多様性」ということで良いことなのかもしれませんが、意見が多様化して細分化した現代においても実際に国や会社という単位は生きて重要な意味を持っているのですから、結局のところ集団の方向性を決めるには集団として意見を集約しなければなりません。

その時各グループの意見、個性をうまくまとめられれば良いのですが、現実は個々の意見が無視されるという事が必ず起きます。

この時生物種的にも社会的なグループ的にも多様性が破壊される事が必ず起きます。

つまり多様性というものは現在も(おそらくは)存在していると言えるのでしょうが、多様性が進めば進むほど集団の意見が集約できないという問題が常に生じます。

この矛盾が解決できていない現在、人類は全体として多様性を受け入れられているとは言えない状況と言えるでしょう。

そう考えると現在言われている「多様性」の問題とは結局のところ「個の利益と集団の利益」という長く続いてきた対立する概念の現代バージョンと言えるものなのかもしれません。

多様性を認めることは個の利益を認めることです。しかし個の利益を追求すればするほど、集団としてのまとまりが欠け、集団としての利益を追求すればするほど個の利益は潰されてしまう傾向があリます。

しかし、私はこの「個と集団」の問題を解決し、多様性を受け入れる鍵はゆる体操とゆるトレ、さらにはゆる体操の元になっている理論「運動科学」の理論のうちの特に「多重中心構造論」や「身体資源論」にあると思っています。

今回はそれに関してのお話をさせてください。

まずはそれぞれの理論を例とともにご説明させていただきます

多重中心構造論

他の類似の分野に比べて、運動科学の理論の中でもその独自性が際立ったものです。
おそらく高岡英夫先生の著作「究極の身体」で初めて発表されたと思います。

究極の身体

※リンクを押すとアマゾンの該当ページに移動します

「多重中心構造」とは人間の体には一つの固定された中心というものはなく、運動の局面に合わせて中心は変わるので、一つの中心に囚われたままでは高度な身体運動はできないというものです。

例えば、質量の中心である「重心」は身体運動では非常に重要な要素ですが、実際に移動運動をするときは身体と地面が接触している足裏の意識が重要になります。ですので、足裏に適切な中心としての意識がないと、高度な運動は成り立ちません。
同じように道具を使う時も道具と接触する手の使い方が非常に大事です。あまりに大事なので、昔の武術家は「手の内を見せない」といって手の使い方を一門の秘密にしたほどです。
また移動運動を見てみると、相撲のように相手と激しくぶつかる場合は吹っ飛ばされないように重心を低くします。ですので、相撲では重心の位置に近い箇所にできる身体意識である下丹田が古来より重視され、重心を安定させるトレーニングを推奨してきました。
しかし、短距離走や器械体操の世界では運動の中心を胸部と捉えている場合もあり、(器械体操では「胸を当てる」という言い方があるらしいですね)例えば体操競技では回転の中心をできるだけ胸部に持ってくることによって高速かつ大きく見える演技を実現しようとしています。
あん馬などを見ていると実際に回転運動の中心は胸のあたりにありますよね。しかし、実際は腕で体を支えているので、もちろんあん馬と接触している手や、胴体とのつなぎ目である肩や肩甲骨も大事な訳です。

このように目的が変わればその運動の中心は変わります。

その競技だけでトレーニングを続けていると、その世界で求められる中心こそが絶対的な中心と思ってしまいがちですが、競技が変わり運動の求める方向が変わると基本となる中心の位置も変わるのです。

そしてそのことは思考面にも大きな影響を与えます。

中心の意識を洗練することは運動に限らず、あらゆる分野でのパフォーマンスアップに寄与しますが、中心が一つである思想に囚われると必ずどこかで成長が止まってしまいます。
そして中心が一つである思想に囚われると思考も固定され、柔軟な発想ができなくなります。

会社経営でも外部からCEOを招くことによって飛躍的に業績をアップさせたという話を時々聞きますが、これを考えてみると、外部の人間はその企業や業種特有の思考の影響を受けませんから、絶対的な中心がいつも正しいとは限らないという一つの例と言えると思います。

このように多重中心構造を考慮してみると、中心(この場合は「原理」といっていいかもしれませんが)を追求しすぎることは必ずしも良いことではないということがわかります。

身体資源論

身体資源論とは

「人間の身体というのは、発達した現代の工業技術を持ってしても、全く太刀打ちできないような精密で超高機能な運動(作業労働やスポーツなど一切を含む広義の概念)が行える、巨大な資源だ」

高岡英夫著「究極の身体」あとがきより

という、これも運動科学独自の理論です。

運動科学の実践であるゆる体操・ゆるトレの基本的な考え方は「全身をゆるめる」ということですが、ゆるめればゆるめるほど使えなかった体の部分がより使えるようになります。
これは身体に埋もれていた「資源」を発掘するという事になりますね。

背骨などはその最たるもので、運動科学では背骨を単に体を支持するための構造と考えてはいません。運動科学では背骨(肋骨や骨盤もですが)を運動器として考えており、そのように考えることで機能を開発する余地がいくらでもあると言われています。

水槽の熱帯魚
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背骨が開発されると・・・

背骨の開発というとゆる体操・ゆるトレに馴染みのない方々は中々イメージできないかもしれませんが、背骨が開発されていると一体どういうことが起こるのでしょうか。
ここでは背骨が開発されている生物の代表として魚類を例に挙げたいと思います。
例えば魚が泳いでいる水槽をゲンコツでコンと叩くと、中の魚は叩いたとほぼ同時に反応して体を翻す動作をします。
これは金魚など比較的運動能力の低い魚類でもそうなのですが、これは運動科学では「脊椎超反応力」と言われていて、背骨がある程度以上に開発されると現れる反応と言われています。
人間の場合はどうでしょう。例えば陸上の100M走で魚類レベルの反応が出来てしまうとどうなるでしょうか。陸上では統計的に人間の反応のスピードは約0.3秒程度という科学的データ(統計なのでその数値は背骨が開発されていない普通の人の反応値になります)を元にしてフライングの規定を決めていますので、魚類レベルの反応をしてしまうとフライングの判定になってしまうでしょう。
また鳥類でも脊椎超反応と思われる面白い反応を見る事ができます。
小鳥を手に乗せてその乗せている手を上下左右に小さく動かしてみても小鳥の頭部の位置が変わらないという現象です。
かなり不規則な動かし方をしても頭部の位置は変わりません。ですからこちらの手の動きを予測しているのではなく、動きに対して瞬間的に反応しているのですね。
鳥類は空気中というかなり不規則な状況の中で移動を行うわけですから、大気の揺らぎ程度で頭部の位置がずれては飛行運動そのものが成り立たないため、このような能力が前提としてあるわけですね。
人間の場合、暗い夜道を歩いていて段差がないと思っているところに段差があっただけで体がガクンとなってしまいます。つまり、人間は常に無意識でも次の動作を予測して動いているので、予測から外れる状況が起こると身体が反応出来ないのです。
では他の脊椎動物はどうかというと爬虫類、哺乳類でも魚や鳥を捕食しているのですから、結局のところ同等の反応力を人間以外の動物は持っているということですね。
人間だけがそういった反応力を失ってしまっているのです。
しかし運動科学では脊椎動物として、ほぼ同じ構造(運動科学では頭骨、背骨、肋骨が脊椎動物の基本的な構造と考えています)を持っている人類も同じような能力を本来持っているはずと考えます。
この件について高岡先生の書籍、「究極の身体」では過去に魚類レベルまでの背骨の開発に成功したと思われる人物の例が挙げられています。

背骨を運動器として他の脊椎動物のレベルまで開発することは日常生活で運動をする機会がなくなってしまった現代人にとってはかなり難しいことと言えるでしょう。一生かけても無理とは言わないまでも非常に困難であると言えると思います。

しかし、開発といっても0が100かではなくその間がありますから、運動をする人なら誰でも開発することには意味がありますし、逆に開発し切る事が困難ということは、少なくとも現在の人類には背骨の開発に関しては「持続可能性」があるということになります。
ただし

「背骨を開発するなんて、運動に興味がない人々にとって意味のないことではないか?」

という反論もあるでしょう。しかしゆる体操をやっていただいたことのある方はお分かりのように(逆にやっていない方々にとってはなかなかこの感覚はわかりませんが)、背骨周りの凝りをとる、腰モゾモゾ体操や、背中モゾモゾ体操、魚クネクネ体操などは基本的に気持ちよく、快適で、疲れが取れる体操です。

高岡先生の書籍「超最強の疲労回復法」で述べられていたように、疲労をとることと、身体の開発をすることは同じ次元のことなので、誰にとっても背骨まわりをゆるめ、開発することは意味のあることなのです。

このように「身体資源論」は近年よく言われる「持続可能な開発」に対して、実は「自分の体こそが開発する対象である」という非常にわかりやすい現実的な回答を与えてくれるのです。

多重中心構造と多様性

さて、今回ご紹介した、「多重中心構造論」と「身体資源論」がなぜ多様性を受け入れられる鍵になるのでしょうか?
まず「多重中心構造論」についてご説明しましょう。

ゆる体操では全身をさすったりゆらしたりする体操が多いです。そうすることで、それまで普段全く意識できなかった体の色々な部位が感じられるようになり、そして各体操ごとに体のさまざまな部位に中心の意識が生まれてきます。
ゆる体操では個々の体操を「パーツ体操」というぐらいですから、まさにその体操で求められている中心となるパーツがあるのですね。
しかし、そこは運動科学を元にしているゆる体操ですから、各パーツ体操に求められている中心は一つではありません。

わかりやすくするために実際に体操を一つ取り上げてみましょう。

「踵クルクル体操」では地面と接触している踵は中心ですが、クルクル回すので回転の駆動の中心は股関節にあります。そして、回転するものには必ず軸があるので、脚全体の軸(=センター)も間違いなく中心ですね。

では、この3つのうちの

「どれが本当の中心なのか?」

と考えたくなることは自然なことと思います。

しかし実際に体操をやってみるとわかりますが、ここで挙げた踵クルクル体操の3つの中心の意識は、どれでも良くなればなるほど滑らかに脚がクルクルと回るようになり、体操のパフォーマンスは良くなります。

どれが一番大事ということではなく、3つのうちどれが良くなっても体操全体のパフォーマンスは上がるのです。
ということは結局のところ「中心が一つ」という考え方自体が間違っていて、実はどれも運動の中心として大事なのです。

踵クルクル体操で踵の意識が薄いと、脚を適切に支えることができないので脚が力んで今って上手くできません。
また股関節の意識が薄いと脚を駆動する中心が分からないので上手く回すことができません。
さらに脚の軸の意識が薄いと回転の中心がぶれるのでやはり上手くできないのです。

踵クルクル体操に限りませんが、ゆる体操の正式なリードはこの点を踏まえた内容になっていますので、自然と様々な中心の意識が潜在的に身につくようにできています。
ですから、ゆる体操を学ぶなら正式なリードを学んでいるNPO法人日本ゆる協会の公認指導員がおすすめです。また今回の話題ではありませんが、ゆる体操のリードの秘密にご興味のある方は以下の記事をぜひご覧ください

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踵クルクル体操は(見た目は)単純な動きですから、同じような仕組みの扇風機や風車などの機械に例えるとわかりやすいと思います。
もし扇風機のシャフトが曲がっていたりするとすぐに壊れてしまいますし、モーターがちゃんと回らないとやはりすぐに壊れてしまいますね。羽根を支える軸受けも中心が取れていないとすぐに壊れてしまいます。
このように結局は全てが大事なのですが、人間は真理や合理性を求めていくのが好きなので、「やはり大事なのは〇〇だ」といったように簡単に結論をつけたくなるのです。

しかし人間の体、生物の進化の方向はそんなに単純なものではありません。

実はどれもそれぞれ、ある視点から見ると立派に中心となっているのですね。
百聞は一見に如かずと言いますが、百見は一行動に如かずで、自分でゆる体操をやってみると様々な動きの中に必要な中心があるということが身をもって理解できるようになるのです。

次はハードの問題ではなくソフトの問題として運動を見ていきましょう。

運動をソフトの問題としてみると演算装置である脳は絶対的な中心のような感じがします。
しかし以下の例でわかるようにソフトの問題としてみても脳は絶対的な中心ではありません。
運動科学では静止立位(立って動かず止まっている状態のこと)での足裏の中心(ウナと言います)を非常に重視しています。

足裏の正しい重心の位置
静止立位での足裏の”中心”「ウナ」

このウナのトレーニングにご興味のある方は以下のサイトをご覧ください。(なんとメソッドの開発者である高岡英夫先生が無料でトレーニング方法を公開されています!)

このウナを刺激するトレーニングを行った後、力をできるだけ抜いてウナの刺激を味わうように立つと、体を支持する中心がウナの方に自然とよっていきます。

この現象は立つという運動をコントロールしているはず中心である脳が、足裏の刺激によってコントロールされていると言うことに他なりません。
ということは脳ですら運動におけるプログラムの絶対的な中心と言えるわけではないのです。

もっとも 「この運動ではここがより重要」といったような中心の比率の問題はあるでしょう。

しかし、比率が高いところが絶対的な中心なのかというと、より重要な中心のように見えてもそれが他の中心を絶対的に支配することはないのです。

このことを組織に当てはめてみるとどうでしょうか?

リーダーがかなりの権限を有しながらも各部署がそれぞれの主張をもち、場合によっては末端の意見(先程の例で言うとまさにウナは身体の末端であるわけですが)が組織全体の方向性を決めることもある、と言うある意味理想的な組織のあり方につながってくると思いませんか?

ここで大切なことは自分に必要なことはしっかりと主張はしながらも、全体の利益のためになるとわかると、必要に応じて臨機応変に相手に自分を預けられると言うこところです。

つまり組織も多重中心構造の方がより変化に対応でき、発展性があるということです。
そして私はそれは生物が共存していくための正しい戦略だと私は思っています。

何故ならば生物は身体の構造として、そもそもそういう構造になっているからです。

ですから人体の多重中心性が実感できる人物は社会の構造としてもそういった多重中心性を受け入れられるはずです。
結局のところ多重中心構造を個人の中で体現することで、自分の各パーツの「個」を際立たせながらもそのパーツの集合体、「集団」としての人体を必要に応じて調和させることが可能になります。
そしてこれは社会の構成員としての自分の「個」を確立しつつも「集団」との協調性を保てることと全く同じに現象と言えるわけですから、つまるところ相手が別の個性を持つという多様性を認めると言うことにつながるのです。

これは最初に申し上げた「個と集団」の問題の解決に他なりません。

しかし社会が多重中心構造であると様々な価値観が乱立するので、個人として思考・精神の基準をどこに置けばよいか、という問題が発生します。「究極の身体」の副読書とも言える高岡先生の書籍、『「究極の身体」を読む 身体の中心はどこにあるのか』では多重中心構造を体現する人物の精神のあり方についても説明がありますが、ここではその話は割愛させていただきます。ご興味がおありの方は以下のリンクをご覧ください。

『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

※リンクを押すとアマゾンの該当ページに移動します

言葉でいうとこういうことですが、ゆる体操・ゆるトレーニングを本格的になさっている方は自分の体で
「うんうん、そうですよね」
といった感じで実感を持ってお分かりになると思います。

しかし、現代人はその本来動物が持っている多重中心構造を十分に生かしているとは言えない状況になってしまっています。

身体資源論と多様性

「自分の身体こそが開発する資源である」と言う視点に立ってゆる体操をやってみると、自分の体が驚くほどさまざまなパーツで作られていて、それが大きな連関性を持っている事がわかるようになります。

そして自分の体について新しいことに気づいた時の感じを例えるならば、それは大航海時代であるとか、まだ世の中に未知のものが隠されていた時代の、人間が無条件で前向きでいられた時代の感情に似ているのではないかと思います。

しかし、大航海時代と決定的に違うところは、開発する対象は自分であると言う事です。

自分であるので、環境を破壊することはありません(ゆる体操は特に自分を破壊しない=怪我や故障をしない体操です)し、他のテリトリーを蹂躙することで迷惑をかけることもないのです。

フロンティアスピリットという言葉で表現される大航海時代やアメリカの西部開発時代は、根本的には本来人間が持っている「未知のものを求め開発していく」という性質によって起こされたものであると思いますが、結局のところ一方的な価値観でもって他を蹂躙したり滅ぼしたりしたために人類全体は現代でもその負の遺産に悩まされています。

このあたりのことは高岡先生の著書、「からだにはココロがある」のあとがきの部分に詳しく書かれているので、ご興味のある方は是非ご覧になって下さい。

からだにはココロがある

※リンクを押すとアマゾンの該当ページに移動します

「未知のものを開発する」こと、そしてそれが達成出来ている時、人は非常な高揚感を味わえます。ですから、長い歴史の中で、フロンティアスピリットが悪いものであると言う評価は今までありませんでしたし、それが人間の本質の一つである以上、これからも否定的な評価になることはおそらくないでしょう。

しかし、地球は有限です。21世紀になり、明らかに限界が来ようとしています。だからといって、「未知のものを開発する」という人間の本性が否定されてしまえば、人類は種としてそこに大きな矛盾を抱え込むことになり、人類全体の発展、進化が止まってしまう可能性もあります。

そもそも発展・進化などもうしなくても良いのでは?

という考えもあるかもしれませんが、種としての発展・進化が止まってしまうとそれは停滞の後の滅びを待つことになります。
ですから、発展・進化は必要だと私は思います。ではどうすれば良いのか?

その開発を自分自身に向ければ良いのです。

人間自身の能力を開発するという「身体資源論」の考え方によって、開発へのの欲求という人間の本質を満たしながら更なる人類の発展・進化を促すと言う思想が自然に生まれます。
「身体資源論」の考え方により、人間は他を破壊したり、蹂躙する事なしに発展・進化する道を見つけることができると私は思っています。

そしてこれが結果的に多様性を受け入れられるようになることは皆さんお分かりだと思います。

何故なら、「身体資源論」で開発する資源は自分自身なので他を破壊することはありませんし、また、身体を開発することによってそこに存在する膨大な情報を(全てではありませんが)認識し、理解し、そして処理できるようになります。

さらにゆる体操・ゆるトレで開発した結果得られるものは快適感です。

自分を開発することにより、快適感が得られると自分の存在が大切に思えるようになります。それは独善ではなく、他人への慈しみも生みます。
ですので、他を押さえつけたり蹂躙することに対して大きな抵抗感を持つようになるのです。

多様性を受け入れるために

最初に申し上げましたが、大事なことは多様性そのものでなく、多様性を(人類が)受け入れることなのです。
生物はそもそも多様です。多様であることは膨大な情報を含んでいるということです。
もしその膨大な情報を処理できる限界を超えてしまうと人はどうなるでしょうか。
そうなると脳も体も動きが鈍くなり、最悪の場合考えることをやめてしまったり、「良さそうな」意見に簡単になびいたりします。

私は、現代社会の情報量は個人で処理できる限界を超えていると思っています。2020年のコロナ禍とそれから続く混乱は現代社会の情報量が異常に増えたことと、それを個人や社会が正しく処理できなくなってしまっていることに原因の一端があると思います。

そしてさらに、現代人は身体が異常に拘縮してしまっているために様々な情報を受け入れるスペースが脳にも体にもなくなってしまっています。

このことは2021年時点での日本の政府首脳を見れば一目瞭然でしょう。

コロナ禍という未曾有の事態にも関わらず、誰も自分の頭で考えることをせず、渡された文書を読むだけの答弁、自分に都合の良いことだけを機械のように話す会見・・・。これらを見ても残念ながら彼らの脳がまともなレベルで機能しているとはとても思えません。

私は多様性の欠如という問題もこれと本質的に同じと考えます。
何故なら多様性の欠如という問題は結局のところ多様性に含まれる情報の多さを個人や集団が処理できないことによる無理解からくるのです。

俺が、俺がと言っていては種や組織が多様なまま存在することなど不可能ですし、かといって人の言いなりになるだけでもそれでは多様性を維持することは不可能です。

多重中心構造論により、自分に確固たる中心がありながらも他もまた中心であるという思想が生まれます。また身体資源論により自分の身体こそが豊穣な資源であることに気づくと、自分の欲望のために他を破壊・蹂躙することもなくなります。

それが人類が多様性を受け入れることになると思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか?

このように運動科学は現代の最も重要な問題を解決する糸口になるものであり、その実践がゆる体操・ゆるトレということなのです。

私にはこの運動科学の思想が世の中に受け入れられた時に社会がどのようなシステムを持ちうるのかということをよく考えます。

今の時点ではまだ想像もつきませんが、差別や抑圧への反発が基本的人権という思想を生み出し、そして現代ではそれが各国の憲法に基本的な条項として普通に謳われているように、私は多重中心構造論や身体資源論が将来的に今とは別の思想からなる法律や社会のシステムを生み出すだろうと思っています。

私は今はそれを期待してゆる体操・ゆるトレに取り組んでいるというわけです。

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