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正しいトレーニングを
先日家の掃除をしていると引っ越しの時から放置していたトランクからノートが出てきました。
まずこのノートなのですが、その存在すらすっかり忘れていて、引っ越しの時は荷造りが間に合わず、ノートが入っていたトランクごと引っ越し屋さんに持ってきてもらったのです。
今回時間ができたので、中身を確認してみたら出てきたというわけですね。
そもそも工具とかが入っているトランクだったので、引っ越し後もすぐには必要でなく、そのまま置いていたのでした。
ノートの中身ですが、当時私が練習していた中国武術(内輪では「功夫」と言います)の記録や研究、感想がひたすら書いてあるもので、今日は何を何回したとか、他人にとっては(そして現在は自分にとっても)つまらないものです。
そして、ノートをさらに読み進めていくとある日の記述に
「腰痛が足にきて体がボロボロになったので功夫の練習をやめた」
とあり、その後しばらくして記述は終わっていました。
自分の20代については今となっては昔のことなので、いいことも悪いことも「思い出化」しているような気がしていましたが、このように記録が出てくると当時のことがリアルに思い出されますね。
今回はこの頃と現在の、トレーニングについての考えの違いを書かせていただきたくことであらためてゆるむことの大切さを皆様にお伝えできれば、と思います。
反復練習に明け暮れる
私は当時の功夫の師匠から
「毎日100回とかでは足らない。1000回でも足らない。10000回しなければ使えるようにならない」
と言われていました。
その師匠は実際まとまった期間、3つの技を毎日10000回やっていたそうです。
私は1000回でもとても無理でしたので、(ノートの内容を見る限りでは)数種類のトレーニング法をとりあえず毎日数百回、まずは1000回を目指してやっていたようです。
技や型よりもさらに基礎的な練習を繰り返していたということから、少なくとも「強くなるには基本練習の反復」みたいな考え方をしていたことがよくわかります。
しかし、結局この後体を壊してしまい、このブログでも何回も書いているように私はゆる体操に出会うまでのその後何年間かをひどい腰痛で苦しむようになるのです。
どうして腰痛になってしまったのか、何が問題だったのか。
まず、この練習法を冷静に考えてみたいと思います。
数をこなせば上達できるのか?
まず、上達するにはひたすら数をこなせばよいのか?ということです。
まず、大前提として、その道で成功する人やさらに歴史に名前を残すような人は、まず量が違います。武術家に限らず、スポーツ選手も、実業家でさえもその分野で必要とされる事を一見むちゃくちゃな量、やっています。
そしてそれだけの量をこなしながら少なくとも見かけはへっちゃらだったりします。
しかし私が言いたいのは、
「上達、成功するのに最も重要なのは量、回数を追うことなのか」
ということです。
当時のノートを見てみると、毎日の練習記録に加えて、時々その時の自分の課題や、疑問、またはわかったこと等をメモしたりしています。
しかし、 その内容は今の自分から見ると少しずつ本質からずれていて、今となってみてみるとそういうトレーニングのやり方で成功するのは難しいかな、と思うところがあります。
回数を追うということは、少なくとも数を数えないといけないわけですから、そちらに意識が行ってしまってその分集中力が落ちます。
数を数えることぐらいで集中力が落ちるのか?
と思われるかもしれませんが、実際は落ちます。数を正確に数えている間は他の事に対する意識は確実に落ちるのです。
特に集中力でも緩解性意識集中の方は間違いなくガタ落ちになります。数を数えるということはきっちり、かっちりした作業ですから、仮に集中できたとしても所詮は緊張性意識集中にしか過ぎません。
また、数百回とか数千回とかの量になると実際のところ数を数えるだけでも大変です。
これを身体運動のトレーニングでやると、確かに体力はつくかもしれませんが、いわゆる「技が冴える」ようになるかというとそれだけでは疑問です。
時間や回数を決めてやると、ただでさえ緊張性意識集中になってしまうばかりか、回数をこなすことが目的になってしまい、トレーニングの内容の質が落ちてしまうからです。
時間を決めてやるにしても、「何のためにやるか」と言う目的意識が必要なのです。
しかし回数を追うことは、「体力」という面でも実は非常に疑問です。
何故なら私は結局のところ体を壊してやめてしまったわけですから。
やめてしまったら上達はあり得ません。
私はもちろん反復練習を否定しているわけではありません。しかし人は、一定の時間や一定の期間に同じことを繰り返していると、それを達成することが目的になってしまい、パフォーマンスの中身や自分の体の調子を省みなくなる傾向があります。
ランナーズハイはその典型的な例と言えます。
ここでの結論は、結局のところただ回数をこなすだけでうまくいくなら誰も苦労はしないということです。
私の場合、上達することがトレーニングの目的だったのですから、その目的を達成するためのトレーニングで、体を壊してやめてしまうと言うことは本末転倒と言えるでしょう。
量や数を追うということは、学校やクラブチームのスポーツを考えてみても、それだけでは効果があるかどうかが疑問なのはすぐにわかります。なぜならば集団で同じトレーニングメニューをこなしていたとしても必ず個人差がつくらです。
特に名門校の野球部などは今でも拷問のような練習量を課しているところもあると聞きますが、当然レギュラーになれるのはその中のわずかな人だけなのですから、結局は同じ練習をしていても人によって差が出ているということです。
ですから、上達するためには何故その差が出ているのかと言うことを考えなければいけないのです。
「同じ練習で結果としてのパフォーマンスに差が出ても、趣味で続けるものは競技スポーツとは違って一生できるのだから長い年月で練習を積み重ねていけば良いのでは?」
という考えもあります。
この考えは正しいかもしれません。
長年続ければ少しずつ上手くなって、才能があっても飽きてやめてしまった人よりは上手くなるかもしれません。
しかし、この考え方にも大きな落とし穴があります。
それは老化です。
老化は知らない間に忍び寄る
私個人で言えば、ゆる体操・ゆるトレーニングをやっているおかげで40歳ぐらいまでは無条件に30代よりも体は動くし、例えば長距離のような継続的にトレーニングが必要なものも、真面目にやれば、それなりにできるようにはなるかな、という実感はありました。
しかし、50を前にして、なかなかそうはいかなくなってきました。
最近は何をやるにしても、よほど上手くやらないとまた体を壊してしまう危険があると思うようになりました。
結局のところ自分の体を冷静に観察してみると、やはり老化しているのです。
ゆる体操、ゆるトレーニングのおかげで、全体的にみて以前より体はゆるんでいるし、上達はしているのですが、年齢を重ねた分だけ老化のスピードは確実に早くなっています。
事務作業ばかりしていると知らない間に体の左右差がひどくなって、なかなか直らない時もあります。
要するに脳と体が持っている元々の回復力そのものは明らかに落ちてきているのです。
30代の時よりも体の状態は良いのですが、より精密なトレーニングと、そのマネージメントが必要になってきているのです。
あのイチロー選手でさえ、自分が目標と公言していた50歳現役を前に引退を余儀なくされました。
私は彼ほどの才能なら50歳現役という目標は当然可能だろうと、彼が30代前半の頃は思っていました。
しかし彼ほどの天才でも(当たり前ですが)老化するのです。老化の分を補えなければ、メジャーリーグという高いレベルを維持することはやはり難しかったのでしょう。
そしてこれは運動に限りません。何故なら当然脳も老化するからです。
ですから上達し続けるには老化することを前提に考えないといけないのです。
目的があって、継続的に練習できたとしてもそれではまだたりないのです。
そして、これに関しては運動科学ではもう少し大きな視点でこの現象を捉えています。
いつの間にか下手になっている
それは努力が実らない原因は老化だけにあるのではなく、そもそも普通にやっていては努力は実らない、つまり上達には限界があるという考え方です。
これを「上達限界」と言います。
何故限界があるかというと、上達するには正しいことを積み重ね続けることが必要ですが、そもそも何が正しいか、ということがはっきりとわかっていないので、結局のところ正しいことを積み重ねることは至難の業だからです。
他に上達限界の理由としては、個人個人の脳の許容能力も理由にあげられます。
これはパソコンで例えるとわかりやすいかもしれません。
パソコンはCPUとメモリーの限界が来ると、それ以上のことはできないので、いくら頑張っても上達(?)できなくなります。
大事なところは何が正しいかは元々才能がある人にしかわからないと言う事です。
ですからいくら努力をしてもその人の才能なりにしか上達はしませんし、正しい努力を積み重ねられなければ、いくら努力をしても次第にパフォーマンスは下がってきます。そして実は才能があると言っても何が正しいかを理解しているから才能があるという訳ではなく、体の方が無意識、潜在意識で勝手にできてしまうという言い方のほうが正しいと言えます。ですから才能がある人でも老化やケガなどの原因で状態が悪くなってしまうと意識的に元に戻すことが難しく、結局のところ次第にパフォーマンスは下がってくるのです。
このように人はいくら努力をしてもいつの間にかその努力が上達に寄与しなるのです。
これを「上達落下線の法則」と言います。
大事なところは「法則」として捉えているところですね。
普通の考え方ではトレーニングをすれば上達するというのが基本で、下手になってしまうとは考えないものです。しかし「上達落下線の法則」ではトレーニングをすればするほど、その努力がいつの間にか上達する方向からそれてしまい、上達しなくなってしまうという考え方をとります。
そして「法則」である以上は誰でもそうなってしまうと言うことです。
正しいことをやり続けるのは天才と言われる人たちでも難しいことなのです。
しかし、法則といっても克服する方法は当然あります。要は正しい方向性を見極められれば良いわけです。
では、どうすればよいのでしょうか?「正しい方向性」とは何なのでしょうか?
上達への判断材料は「ゆるむ」こと
ゆる体操の元になっている理論である「運動科学」はその視点を与えてくれます。それは色々ありますが、最も重要な視点は
ゆるむ
と言うことです。
このサイトに来られているみなさんはもうお分かりでしょうけど、功夫をしていた頃の私にはゆるむと言う概念が欠けていたのです。
ゆるむ、と言うことは非常に奥の深い概念で、最近よく使われている「ゆるキャラ」のイメージのようなものではありません。ああいう意味での「ゆるんだ」感じ体というのは、運動科学でいう「ゆるむ」という概念のほんの一部でしかありません。しかし実際に体ががゆるんでくると、体感としては「ゆるんでいる」と言うしかない身体感覚がするので、言葉としてもおそらく最適なものなのでしょう。
しかし、体がガチガチに固まってしまっている人の場合は、ゆるむと言う感覚自体がにわかには信じられないものです。
そういう場合、さらにわかりやすい方法があります。それは
気持ちよい
ということを判断材料にすることです。
気持ちよいという事が最も根本的な判断基準になります。
高岡先生がさまざまなところで書かれていますが、基本的に人間にとって無理のない、ゆるんでいる動きは気持ち良いのです。ですから、ゆる体操をするとき、特に体をさするときは
気持ちよく
という言葉が多用されます。
ゆる体操では「気持ちよい」と言う形容詞だけでなく、「気持ちよく」という副詞を使うことでさらに動的に「気持ちよさ」を求めていきます。ゆる体操は「ダイナミック(動的)リラクゼーション」とも言われますから、このように常に動的に体に働きかけていくのです。
先ほどのノートを書いていた当時、私は強くなりたいがために、強い自分というイメージを追いかけていました。
そして当時の私は強さを手に入れるためには「辛いことが当たり前」という思い込みの中で生きていたのです。
最近高岡先生は
「人は楽なことは程度が低く、意味のないことだと考える傾向がある」
とおっしゃっていましたが、上達という事に関して本人の努力というものはあって当然としても、それが辛いものでないといけないということは運動科学によってはっきりと否定されています。
ゆる体操はその精華なのです。
しかしこの「努力」と言う言葉はあまり良い言葉ではありませんね。「力に努める」と言う考え方では上達には程遠い気がします。
話はそれますが、同じように「勉強」もよくないですね。「勉めを強いる」わけですからね・・・。
こんな発想では人が育つはずがありません。いつごろできた言葉かはわかりませんが、現在の意味、感覚で使われるようになったのはおそらく明治以降の拘束的な思想教育の影響かな?なんて思ったりもします。
しかし「楽」で「気持ち良い」だけ聞くと何か危ない世界の話のようですね。
なので加えて大事なことはその人にとって「(プラスの)効果がある」かどうかなのです。
そして、「できるだけ楽」で、しかも「効果があっ」て、さらに「気持ち良いもの」が上達する(=ゆるむ)ための鍵であり、逆にそうでなくてはどこかで破綻してしまうという事になるのです。
「楽」で「気持ち良い」は自分で判断できますが、「効果がある」かどうかはやる前から自分で判断することは難しいですね。
上達することは結局のところ「ゆるむ」と言うことなのですから、そこで悩むならとりあえずゆるむための体操「ゆる体操」をやってみることをぜひお勧めいたします。
まとめ
- 数をこなすだけでは上達できない
- 上達には「上達落下線の法則」により個々に限界がある
- 「上達落下線の法則を克服するには」正しい方向性を見極めることが重要
- 上達するための正しい方向性は「ゆるむ」事である
私は過去に体を壊すという経験をしたおかげでゆる体操に出会うことができました。
おかげで20代の自分がなぜ間違っていたかということも、今ははっきりとわかるようになりました。
経験することでより実感を持って皆様にお伝えすることができるようになったとも言えます。
このように考えると体を壊したことは遠回りだったのかもしれませんが、皆様のお役に立てるということを考えるとよかったことなのかもしれませんね。
ただ、私のような回り道はしないで済むならしないほうが良いので、どうぞみなさん自分にとって適切な分量でゆる体操、ゆるトレに取り組んでみてください。