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軸(=センター)と格闘する

みなさんこんにちは。ゆるポータル神戸の中田です。

さて、今回は「最も重要」といってよい身体意識である、軸(=センター)の話をしてみたいと思います。
正直センターについてお話するのはなかなか大変なのですが、例によって今の自分の通過点として、今はこういう風に考えている、という感じで受け取ってもらえたらと思います。
また後年に自分が読んだときに、この時点で文章として残しておくことがその時の自分の認識がどうだったかという事の指標にもなるので、自分の上達の軌跡としても書いておいて良いかなと思った事も付け加えておきたいと思います。

軸(=センター)は身体意識である

さて、軸(=センター)というものは日本では古来から軸と言われたり、正中線と言われたりしてきたものです。海外でもバレエなどではセンターと言われてきたそうです。運動科学ではそれらを学術的統一概念としてセンターという言葉を使っていますので、今後はセンターという言葉を使う事にします。
さて、そのセンターなのですが、これが一体何なのか、という事に対しては誰も答えてはくれませんでした。それに決定的な概念を与えたのが運動科学です。
つまり、センターとは実体ではなく身体意識であり、身体の鉛直方向に沿ってできる直線上の身体意識であるということですね。発見者であり概念の提唱者である高岡英夫先生の定義を以下に示しておきます。

  • センター定義
  • 狭義の定義:重力線とその延長線上に沿って形成された直線状の身体意識
  • 広義の定義:人間の身体の垂直方向に主に直線状にできた身体意識

さて、このように学術的に定義されたからと言って誰にでもわかるようになる物ではないことは、例えば相対性理論が発表された当時は本当の意味で理解できる人間が学者の中でもほとんどいなかった事から想像できると思います。
相対性理論にしても、ある意味何回もの追試を受けながら、100年以上経った現在のところある種の状況をのぞいて概ね正しい、という事が受け入れられているのです。
運動科学の理論も高岡先生が本格的に発表を始めてからすでに40〜50年経とうとしていますが、スポーツを中心にかなり浸透してきているのは感じます。

しかし、運動科学の理論の中でも特に身体意識というものは、ある意味知識や認識といった概念のさらに先の非常に抽象的な概念ですし、さらには当然のこととして身体性とは切っても切れない関係にあるので、頭で考えてその理論を理解できたとしても、生きたものとして実際に使えるようになるには(一部の天才は除いて)ある程度の鍛錬が必要になります。

とはいう私も24年運動科学のメソッドに取り組んでいますが、センターというものがある意味実体感を持って感じられるようになったのは数年前からの事です。
実体でないと言っておきながら実体感を持つという言い方は如何にもおかしく感じられるかもしれませんが、高岡先生の著書では、身体意識とは身についたものにとってはまさに実体として感じられる、という記述がありますから、それもまた真なり、という事なのでしょう。

さてここで身体意識の理論や、センター論理的な部分を殊更に書き出しても、それは高岡先生の書籍で確認できる事ですから、修行中の人間がどのようにセンターを身につけていっているのか、という事の方がこれから運動科学に取り組もうとしている方々にとってはご興味がおありでしょうから、今回もそういう話をしたいと思います。
しかしここからの話はあくまで私の体験談に基づく話なので、それが正しいというつもりはありません。あくまで読み物として、皆さんの参考程度になれば良いのかな?といった気持ちで私も書きますのでそれを覚えておいていただけたら、と思います。

軸(=センター)トレーニングに出会う

さて、私は西暦2000年に、「極意を教える」という講座の初級から運動科学を学びだしたのでした。なんでそんなに難しい講座から?と思われる方もおられるかもしれませんが、当時はそれが一番初心者向けの講座だったのです。

で、その時にセンターがわかったぞー、となる訳もなく、正直なところ何が何だかよくわからないままその後もしばらく試行錯誤しながらトレーニングを続ける、といった感じでした。
しかし、ある時極意の講座とは別に、現在の身体能力錬成道場や身体意識錬成道場に繋がる講座ができ、もう少し別のアプローチから学ぶことができるようになりました。
これらと極意の講座が端的に何が違ったのかというと、極意の講座はまさに極まった身体意識、極意というものをある意味演繹的に受け入れて、それを直接身体意識として学んでいくのに対して、身体能力や身体意識の講座は、もう少し視覚意識的な部分や、実体としての身体との対応を学ぶ事によって、気がついたらある程度それらが身体意識化されているという、講座の構成としては帰納的な考え方を含む内容になっているのでした。
ですから出来上がった身体意識もある程度視覚意識に訴えるものになるので、初学者にもわかりやすいという長所があったのです。
それから、自分の中でもある程度トレーニングに手応えを感じられる様になり、「これならいける」と思うようになったことを覚えています。
しかし、身体意識は身体意識であり、視覚意識ではありません。同じセンターでもよりはっきり見えるようなセンターもあれば、実は相当な強さで存在するにもかかわらず、初学者にはよくわからないというセンターも存在します。最も簡単な例で言えば1軸はわかりやすく見えやすいですが、3軸は見た目にもわかりづらいという事があります。
それは高岡先生が実際に見せてくれる姿でも、(あくまで自分の中では、という事ですが)よりはっきりと見える顕在化されたものと、パッと見よくわからない潜在化されたセンターがあるので、自分の中では迷いが消えたわけではありませんでした。
結局のところ同じセンターでも、位置やさらにはモビリティとクオリティが異なれば感じられ方は異なってくる訳ですが、それがハッキリと解るようになるのはまだまだ後のことです。

「寝臥位センター」という画期的な講座

それが何なのかをはっきり教えてもらえたのが「寝臥位センター」という講座でした。これは今でも動画で受講することが可能なので、ご興味のある方は是非受けてみられたらよいと思うのですが、まさにより潜在化された、クオリティの柔らかい、視覚ではなく機能としてのセンターが自然と育てられるトレーニングメソッドなのでした。
これも高岡先生らしく「満を辞して」発表された感がありましたので、わかりやすいトップセンター初級や中級の講座を何度も重ねて、ある程度センターというものに受講者の認識が追いついてきた時に良いタイミングではじめられたのかな、と思っています。
内容に関しては詳しく述べられませんが、「えー、こんなことでこんな感じになるのか?」といったある意味破天荒(!)なメソッドで、逆にそこまで脳のリミットを外す様な事をしないと人間の能力というのは開いてこないという事なのだと思います。

外部リンク

さて、そんなこんなで潜在化されたセンターと顕在的にも「見える」センターの違いについては自分の認識が追いついてきたのですが、そうすると、今まで
「この人って、高岡先生は高く評価しているけど本当にセンターが通っているのかな?」
という様な人物でも「ああ、そうだったのか」、という感じでセンターが「見える」様になってきたのでした。
だからと言って自分にセンターができているわけではありません。寝臥位センターのメソッドで一時的に出来たセンターにしても、グループでワークを行なって、確かに他の、例えばトップセンターの講座で出来たセンターと何かが違うということはわかるのですが、具体的に自分で言葉で表現できないのです。
しかし、ある時ふっとそれに気づいた瞬間がありました。キーポイントになったのは「ゆらぎ」でした。

ゆらぎの中に軸はある

具体的にどういうトレーニングをしていたのかというと、拘束背芯溶解法や拘束腰芯溶解法であるような、背骨を一つづつ動かすワークの中です。普段の自分の立ち方では、どうしても背骨を動かす前に、いったん背骨まわりの筋肉の力を抜いてからでないと、立ったまま背骨は動かないな、と思っていたのですが、逆に「いつでも背骨を動かせるような立ち方」を模索した結果、寝臥位センターでできる軸で立っている感じと同じような立ち方になったのですね。
寝臥位センターは赤ちゃんのセンタートレーニング方法です。寝臥位センターでできるセンターは、赤ちゃんのセンターのように常にゆらいでいます。赤ちゃんはいつもゆらゆらしていますよね。高岡先生の初期の著書「極意と人間」や「意識のかたち」の中でもすでにそういうことは述べられていて、自分でも知識としては知っているのですが、では実際にゆらぎのなかに軸が通るという状態は、その寝臥位センターの時のみ受け入れられる脳と身体の状態で、実生活の中ではとてもではありませんがそんなものは受け入れられません。赤ちゃんの様にユラユラフラフラしていてはパソコンも出来ないし掃除も料理もできません。刃物なんか持ったら危なくてしょうがありません。
それにやっぱり優秀なスポーツ選手ピシッとして見えるものです。ですから自分の潜在意識の中に
「やはり人間はフラフラしていてはいけない」
という固定観念というか、強迫観念の様なものがあって、寝臥位センターのトレーニングが終わってしばらく時間が経つと、その脳の強迫観念によって身体が固まっていったのだと思われます。
また、背骨を動かすトレーニングにしても、背骨を動かすのやはり筋肉だから、という固定観念がありすぎて、例え背骨周りの微小筋群にしてもそれを使おう使おうとすると、軸が3軸でなくもう少し背骨寄りになってしまって、それはそれで力んでしまっていたのですね。しかしそれでも、背骨の可動性はよくなるし、なんとなくピシッとした感じはするしで、どうしても自分のな中でそこから出られなかったのだと思います。
ですからピシッと、とかカッコよく、とかそういうものへの憧れが自分の中にあったせいでせっかく寝臥位センターでできる様な機能的で柔らかいセンターが出来始めているのに、それを自分で壊してしまうという繰り返しを何年も続けていたのでした。
それに気づいてからはそのゆらゆらを自分で受け入れる様にして、炊事や掃除、出勤中の電車の中だろうが何処であろうと、出来るだけそのユラユラフラフラを受け入れる様にする事にしたのです。
そういうふうに日常心がけていたら、そのユラユラの中にスーッと通るものがあったのです。
「ああ、なるほど、これがセンターか。」
という感じでした。
「うんうん、そうやんな。確かにセンターが”感じられる”わ・・・」
最初の頃、ゆるゆる棒を使ったワークで習った通り
「ユラーっとしてスーッとしたセンターが感じられる」
というリードの語句にまさにピッタリな感覚なのでした。バラしてしまうとその時はワークで求められるような「シルバー」ではなかった(今でも「シルバー」は苦手ですね)のですが、まあ、なんでも一発でうまくいくわけでもなく、それはそれでいいじゃないですか(笑)

自分で作るものではない

そうですね、良い軸はあくまで「感じられる」ものだと思います。
これを運動科学の用語で被感意識と言います。
わざわざそういう用語を作ってあるのですから重要な概念なのですが、正直それまで軸タンブリング(※1)をしていていも被感意識で軸が感じられた事はありませんでした。しかしその時は被感意識をはじめとした様々な概念が軸のワークを通して色々と繋がった感覚があったのでした。
そうやってしばらくボーッと立っていると、なんとなく地芯らしきものも感じられるし、きっとこれは良いんだろうな、と思ってそれからしばらくその方向性でトレーニングをする事にしたのでした。

自分でこうだろうとか、この方が良いかな、と色々下手な工夫をすると、それまでの私の様にどんどん違う方向に外れてしまっていくものです。私は人より早く身につけたい、とかそういうこともよく考える性格なのですが、そういう余計な感情をトレーニングに入れすぎると、自分の場合はあまりよくないんだろうな、と思って、淡々とワークをやって、軸が感じられればよいか、と思う様にしたのです。
ただし、これは私の場合は、という事であって、現実的には最初は視覚意識ででも自分の中にセンターを作らないことには普通の人には何も起こりません。サッとイメージしただけで、それが身体意識化できるような人がいたら、それは紛れもなく天才でしょう。

これは垂軸なのか?

さてその後、出来るだけユラーっとしてスーッとした軸が感じられるような脳と身体の状態をキープするようにトレーニングを続けていったのですが、これがなかなか大変で常にそのような状態をキープするにはある種の脳のタフさが必要ということがはっきりしてきたのでした。
なにしろ少しでも疲労してくると脳は身体を固めて姿勢を維持しようと働くのです。これは全くもって潜在意識下の話で、自分が主観意識でいくらゆるんでセンターが通った状態をキープしたいと思っていてもそうはなってくれないという代物なのです。逆にゆるんでいると勝手にセンターは立ち上がってくるし、地芯も感じられるし、というもので、主観意識としては潜在脳の働きを邪魔する以外の事はしなくてよいんじゃないかしらん、と思うほどです。
で、そんなある時
「おお、今はいい感じだぞ〜。」
と思っていた時に、ふと軸の通る位置はどうなってるのかな、と思ったので自分で感じてみると、どうも3軸のキーステーションとなる各玉の位置(天玉や頭玉、脊玉など軸が通るべき位置にはキーステーションとなる独立した身体意識がある)をセンターが通っていないように思うのですね。確かにゆるんではいるし軸も感じられるのに、なんでなんかな、と思ってそれとなく鏡を見ていると妙に姿勢が前屈みになっているわけです。もしかして前屈みに見えるだけで、それが軸が通っている姿勢かもしれません。
何せ、達人というものは横から見るとなんとなく前屈みに見える(様な気がしていた)ので、その時はとりあえずその理由は考えないで、身体がよいと思えるようにやっていたのですが、なんとなくそのうちに解決すべき問題のようにも思えてきたのです。
さて、時を経てその時はやってきました。要するにそれまで感じていた軸は、実は垂軸だったのです。そして前屈みになっているように見えたのは、確かに前屈みになっていたのでした。という事は体軸がちゃんと通っていなかったのです。
垂軸は身体がどんな姿勢をしていても静止している場合は足裏の基底面内に垂直に通っているものです。加速度が働くと基底面を外れ、さらに進行方向との加速度と合成され斜め方向にもなったりしますが、重力方向は地球の中心に常に向いているので、加速度と合成されても潜在的には常に鉛直方向に通っているとも言えます。
ということで、身体がどんな姿勢でどんな運動をしていても垂軸というものは真っ直ぐに上下に通っていると言えます。これを身体意識として感じられるようになるにはゆるんでいないといけない、というところまでは良かったのですが、逆にいうと垂軸だけを感じていても体軸が垂軸に合うように発達しなければ垂体一致という、ある種人間の完成形にはなれない訳ですね。四足でも垂軸は真っすぐに立つわけです(但し、直立位の方が垂軸は感じやすいですが)。
さて、ここからは体軸というものがなんなのか、というところがトレーニングの内容に追加されるわけです。

体軸はどこやねん

体軸はある意味身体の動きの中心になるものです。それに対して垂軸は重力に対して身体のバランスをとる中心です。本来二つは別のものです。それは人間以外の脊椎動物をみればわかりますが、ほとんどの動物は垂軸と体軸は直交しています。背骨を運動器官として考えると動きの中心は背骨になるので、背骨の方向に体軸は通るわけですから、魚も四足動物も垂軸と体軸は直交するのです。
じゃあ、どうすりゃいいんだ、ということで色々試したところ、体軸は身体を動かしてみてその中心が各玉を通るようにしてみると良いのかな、ということで、まず自分の中で垂軸と体軸が別のものと感じられるように色々なワークをやってみるのですね。基本的な事から、自分にとってはかなり難しいことまで色々やってみるわけです。
「基本的な事」の例は、たとえば「まといフワーリ体操」です。

あの体操は身体は移動しないので垂軸は動きません。ですから動いている(回転している)のは体軸しか考えられません。おそらく理想的には垂体一致したまま体軸だけが回転している、と考えられます。
他には「足ネバネバ歩き」やスーパーウォーク歩道の「姿勢軸」なども同じように身体が移動しないので垂軸は動きませんが体軸が身体に対して何らかの作用をして動きを生み出しているのです。
そしてその動きを生み出しているラインがバラバラでなく、一本にまとまっている時、それは体軸(が運動している)と言えるのではないか、という事ですね。
おそらくそれは間違ってはいないでしょうが、私は脊柱側湾症もあって実体世界で基準となる背骨がねじれている訳ですから、これがなかなか難しい。今でもなかなかわからないのです。うっかりすると、ねじれている向きが自分の正面を作ってしまうので、これに関しては本当にやっかいなものです。
ということで現在も体軸に関しては四苦八苦していますし、垂軸についても脳と身体の老化との闘いで一進一退を繰り返しているような状況と言えるでしょう。
そうこうしているうちに新たに気づいた事がでてきます。それはどうやら重心落下点がウナの位置にない、という事です。というより、ウナの位置に重心落下点を持ってくるといくらか力んでしまうのです。
自分なりに垂体一致して、気功でいうところの楽軸中立で立つと、もっとも楽なポジションではウナの位置に正確に重心落下点が来ないのです。もちろんウナの位置に重心落下点を移動させることは出来ますが、少し身体が力んでしまうのです。こういう場合は少しインチキして垂軸を太くしてやると(!)楽に立てるんですけどね。
「ああ、これが背骨本(※2)で書かれていた事か〜」
なんて気づいたのがちょっと前の事です。
これについての解決法はありません。自分の実体としての身体の重心落下点が骨格上理想的な重心落下点である脛骨直下点=ウナにないのですからしょうがありません(もしかしたら、単に力んでいるだけかもしれませんが!)
しかし背骨本にはトレーニングを続けていると少しずつ重心落下点がウナの位置へ下がってくるという事が書いてあるので、 今のところそれを信じてトレーニングを続けるだけです。

さて、このように少しずつ自分のトレーニングも進んできたのですが、では日常のなかで何かに生きているのかというと、正直自分ではさっぱりわからないといった状況です(笑)
趣味のヴァイオリンは練習する時間がないこともあってさっぱり上達しませんし、好きな数学も忙しくて全然出来ない状況では目覚ましい上達などあるはずもございません(笑)
ただ、一つ言えることは、仕事の達人調整で色々と面白い効果を感じたり、面白い感想をいただく事が多くなってきた事です。
面白い効果といえば、いつも来てもらっている方で、なかなかゆるまなかった箇所がある時突然調整でゆるむようになってきたとか、感想の方は「たださすってもらっているだけなのに、なんでこんなに違うのか?」とかですね。
正直なにがそうさせているのかは自分にはわかりませんが、やっぱりパフォーマンスは本質力×具体力なので、趣味のように適当にやっている事とは違って本気度が違うという事なのでしょう。

「本質力」について知りたい方は・・・

しかも達人調整は具体力がほぼ本質力のトレーニングなので、癖に邪魔されにくいという事があります。
自分が普段達人調整をするときは、各術技で求められている課題をただこなそうとしているだけなので、相手がどんな感じがするのかは自分では本当のところはわかりませんし、むしろどんな感じがするのかはこちらから聞きたいぐらいです。
一つ言えることはそれぞれの課題に加えて、基本となる地芯とセンターは常にさりげなく意識していて、地芯から運動が起こるようにということは共通の課題として取り組んでいます。
しかし達人調整中の地芯やセンターは、絶好調の時のただ何もせず静止立位でいる時のセンターには及びません。ですから自分は達人調整師ですが自分の術技に満足したことはありません。
おそらく今後も満足することはないのでしょうし、本質力のトレーニングとはきっとそういうものなのでしょうね。

最後に

さて、まとめらしいまとめもないままこのまま終わろうとしていますが、皆様が私と同じ道を通って上達されるとは限らない、というよりそんなことはないでしょうから、何度も申し上げますが、今回の話はあくまで参考程度に受け取って貰えばありがたいです。ただ、ゆる体操のご指導や達人調整の施術をさせていただいて思うことは、私がそうであったように、皆さんどうしてもセンターというものを作ろう作ろうとされている感じがする事でしょうか?
私は軸(特に垂軸)というものはゆらぎのなかに感じられるものであって、それはおそらく進化の過程でそのように生物がプログラミングされているからだと思います。
視覚意識(=イメージ)で意識しても本当の軸センターや身体意識にはなってこないものなのです。
それから一人でトレーニングしているとどうしても視覚意識になってしまいがちです。ですから近くに教室がある方は出来るだけ教室に通ってください。
近くに教室がない方は運動総研や当サイトの動画でも良いし、それらに限らずたくさんの公認指導員がゆる体操の動画をアップしていますから、気に入った先生の動画を見れば良いと思います。
もう一つ、センタートレーニングでセンターと格闘するのはやめましょうね(笑)

  • ※1 軸タンブリング 運動科学総合研究所連続講座、極意第1教程で習うメソッド
  • ※2 背骨本 高岡英夫著 「背骨が通れば、パフォーマンスが上がる!」

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