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名盤・名曲探訪④ 坂本龍一「未来派野郎」と「1212 2020」
この文章は坂本龍一氏が亡くなられた時にFacebookで連載していた音楽関係のエッセイを加筆訂正したものです。本日は坂本龍一氏の3回忌にあたるのでこちらのブログでほぼ同じ文章で再掲することにしました。
本日3月28日は坂本龍一氏の命日です。
私と彼の音楽との最初の出会いは映画「戦場のメリークリスマス」だったかと思います。
しかしそれよりもより彼に興味を持ったのは中学生ぐらいの頃、兄が彼のアルバムを発売のたびに買いだした頃からです。「SMOOTHY」や「SWEET REVENGE」の頃ですね。
遡ってYMOを知ったのもその頃でした。
正直YMOのテクノの音楽は当時は興味はなく、今もどちらかといえば生の楽器を嗜好するタイプなので、その時代の彼の音楽を優先して聴くことは現在もありません。
ですから本格的に愛好するようになったのは「Energy Flow」でしょうか。今で言うエナジードリンクであるリゲインのコマーシャルで使われたこの曲は、同時期に出されたアルバム「BTTB」とも相まって、彼のその後の指向を示す名曲と言えるでしょう。
この頃から、彼の環境問題に関する発言が積極的メディアに取り上げられるようなったように思います。BTTB(Back To The Basic)は一般にはクラシック音楽を素養とする彼のYMO以前の音楽への「原点回帰」と言われていますが、もしかしたら「原点回帰」という意味は現在の人類の状況を憂いた彼の人類全体への「原点回帰」という意味も含まれていたのかもしれません。
このような甘ったるい考えは、若い時の彼ならもちろん全力で否定するでしょうけど。
しかし、21世紀になると、彼の音楽は次第に自己に対する憂いや他者に対する慈しみを発するようになってきます。それはBTTBの頃の彼の演奏と比較的最近の演奏を比較すればすぐにわかります。
特に「The Last Emperor」 や「Merry Christmas Mr.Lawrence」は何度も演奏されているので彼の内的世界がどのように変化したのかは彼が実際に発した音から間接的に聞き取ることができます。
私はそれを良い方の変化、と受け取っていました。確かに「Merry Christmas Mr.Lawrence」などは晩年の演奏の方がより胸に迫るものがありますし、今でも聴くなら晩年の演奏を聴きたいと思います。
しかし彼の死後、私はこれと全く別の意見を聴くことになります。
彼が亡くなってからしばらくして友人のC・F氏と坂本龍一について少し話す機会があったのですが、彼曰く
「2000年代の彼の変化は好ましいものではなかった」
というのです。なぜなら彼の曲からそれ以前にあったエネルギーのようなものが失われてしまったから、というのです。それを思えば無くなる前の2023年のクリスマスに「Merry Christmas Mr.Lawrence」をローテーションでかけていると妻が、
「病人の演奏なので、今日の雰囲気にはそぐわないのでは?」
と言われて、そう言われればそうかな、と思ったこともあったのです。
ですから確かに私もそれは感じていたのですが、それでも先ほど述べたような変化の良い面を私は受け入れていたので、それはそれとしてそのときは「やはり彼は晩年に向けてより進化していたと思う」ということを言ったかと記憶しています。
しかしさらにその後、1986年のアルバム「未来派野郎」に収録されている「黄土高原」を聞いたときC・F氏が言ったことを思い出さされる羽目になります。
元々なぜ黄土高原を聞いたのかというと、妻と坂本龍一の話をしている時に「未来派野郎」の話になって、自分もあの中の「黄土高原」は良かったよなぁ、という会話になったからです。
この「未来派野郎」は内部音源のサンプリングの問題?があるのか、大手配信サイトで聴くことはできないようですが、Youtubeでは(無断?)アップされているので、聴くことができました。
さてこのアルバムを聴いてみると、瞬間、まさに聞いた瞬間から、もう近年の(しかし病気を発症する以前からの)坂本龍一がおそらく失ってしまったであろう「何か」があります。
とりあえず「未来派」の意味は置いておくとしても、おそらく「快」と、それと等量な「不快」と言っても良いであろうそれは、あの頃ずっと年下である自分にとって私の妻が言うところの「スカした兄貴」であった坂本龍一が、当時おそらくそのようなリズム、メロディの中で生きていた確かな証拠としてアルバム全体からまず感じられるものなのです。
特に「黄土高原」を支配する、無機質なリズムと、そうであるが上の非常な「快」というものは、常に運動の中に「快」を求める運動科学を学んでいる自分にとってはまず言及せずにはいられないものです。そこには他人に対する気遣いや優しさなどはありません。ただ気分の良い音楽があるだけです。
つまり、コンピューターを使って無機質(とあえて言いますが、この「無機質」の解釈においてはおそらく長文の文章が書けるレベルの複雑さがあります)に打ち込まれたその「音形」、そこからなんとも言えない「快」が生まれている。
それは他ならない彼の身体意識がそうであったであろうある種の「状況証拠」とも言えるものです。
これはYMO時代の続きと言えるのでしょうけれど、何か私にはそれ以上のものが感じられます。
しかし、結局のところ、この「快」は21世紀になって次第に身を潜めていきます。私の様に運動科学を学ぶ人々にとっては、ゆる体操の開発者である高岡英夫先生が坂本龍一から非公式な対談を申し込まれ、運動科学、特に身体意識について様々な質問を受けた、ということは有名な話です。
その後彼は運動科学の実践においての「快・不快」の重要性についてはおそらく理解しなかったか、忘れてしまったのか、あるいは封印してしまったのか・・・。例えばYMOのメンバーである細野晴臣氏のような普通の意味においての「スカした」、「ちょっとゆるい」感じではなくなっていってしまったのでした。
C・F氏との会話を経た私にとって、この現象は今となっては、彼が「原点回帰」したからに他ならないと考えます。
「原点回帰」以降、彼は(私にとってはある意味どうでも良い)「アカデミー賞受賞作曲家」という肩書きに加えて、社会においてリベラルな活動家という面がより強調されていき、世界的アーティストとしての立場を国内において確立していくことになります。
しかし武満徹を反体制的なものとして糾弾した事もあった彼なのですが、それは彼が反体制のリベラルであるからというよりも、より本質的には「ゆるんだ、スカした兄貴」だったからであろうと私は考えています。
そのような「原点回帰」はそれ自身の呪縛によって、周囲に対して「sweet」な「revenge」をする事もなく、彼をよりリベラルな活動家へと変容させていきます。
それはどちらかと言えばリベラルな立場と言える私にとっては非常に好ましく勇気づけられるもので、さらに彼への尊敬の念を高めるものだったのですが、結局のところ今はそのことが彼の早すぎる死に影響したのではないかという不安を拭い去ることができません。
もちろん彼が生きていればこのような意見が全力で否定するでしょうけど。
「戦場のメリークリスマス」において、あの作品のテーマとして成立しているかというと必ずしもそうとは言えない「Merry Christmas Mr.Lawrence 」が、俳優としてのビートたけしや坂本龍一を採用した大島渚のある種の「横暴」によって成立しているということをこの国全体がもう少し理解していれば、ある意味「スカした兄貴」のままで生きられたかもしれない坂本龍一が早く死ぬことはなかったのではないかと思えてならないのです。
それは言い換えれば、間違いなく名演と言えるアルバム「12122020」の「Merry Christmas Mr Lawrence 」を聴いた時に感じてしまう、
「Back To The Basic」が快不快をないまぜにした「未来派野郎」的な物への回帰であれば、さらに言えば「黄土高原」の「快」への回帰であれば、全くもって残念な未来なんかよりも別の今があったのではないか、
という感情に同じと言えるのかもしれません。
Facebookでの文章ですので、運動科学を前面に打ち出した内容ではありませんが、せっかく出会いがあったのですから、やはり氏は「ゆる」に取り組んでいただきたかったと思います。
コンサートやLP・CDなどの感想を身体意識を踏まえて書いています
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