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ミロのビーナスとアレクサンドロス
と言っても二人の彫像の話です。
まずは下の二つの写真をご覧ください。
左は有名なルーブル美術館のミロのビーナス(アプロディテー)ですね。右は「大王」と呼ばれたアレクサンドロス3世の彫像です。
ミロのビーナスは有名なのでみなさんご存知かと思われますが、私はアレクサンドロス3世のこの彫像を写真で見た時、真っ先に思い出したのはミロのビーナスの彫像のことでした。
今回は運動科学の視点からこの二つの彫像について思うところをお話ししたいと思います。
1.二つの彫像の共通点?
まずこの二つの彫像をじっくりご覧ください。
二人、と言ってもビーナスは神様なので、人間ではありませんし、アレクサンドロス3世の彫像にしても、後の時代に作られたものと言われていますから、実際の人物を忠実に再現しているとは限りません。
そういう前提で二人の彫像を比べてみると、まずは見た目的なものはすぐに目につくと思います。
例えば上半身が裸体で、下半身を布で隠している、とかですね。
ギリシア彫刻では裸体は対象が神の場合に限りますので、裸体で表現されているアレクサンドロス3世は神として祀られているということになります。
ただし、私が言いたいのはそのようなことではなく、その裸体の表現です。
よくよく見てみると、二人とも体幹部が非常に分厚い印象を受けませんか?
アレクサンドロス3世は男性なので、がっしりした体格をしています。ですが、女性であるビーナスの身体も現代の基準からするとかなり前後左右に分厚い印象を受けます。
もちろん女性なので脂肪がついています。ですので全体としてふっくらとした印象は受けますが、現代のモデルのように細い体はしていません。むしろスポーツ選手と比較しても遜色のない大きな体幹をしていると言えると思います。
そして、アレクサンドロス3世の彫像も現代のスポーツ選手と比較しても大変に太い体幹部をしているように見えます。
また、二人とも全然「お腹まわりが締まっていない」身体をしているように見えませんか?
体幹でも特におへその周辺に注目してみると、意外なぐらい太いように見えます。女性であるビーナスは骨盤が大きいのでいわゆる「くびれ」はありますが、アレクサンドロス3世に至ってはほとんど寸胴と言えような体型をしていると思います。
アレクサンドロス3世は常に前線で活躍した軍人なので、非常に筋肉質な、立派な身体をしていると言えますが、それにしても、例えばアメリカのヒーローであるスーパーマンのような腰回りが締まって胸の大きいといったイメージの体型とは全く違うことがわかると思います。もちろん胸まわりも大きいですが、それに比べて腹回りの太さがめだちます。
この二人における身体の表現とは一体なんなのでしょうか?
作家はどういった観点でこのような身体を表現したのでしょうか?
2.二人ともゆるんだ身体をしている
それは結論から言うと、(もしこのような体型の人物が実在しているのならば)二人ともゆるんだ身体をしているということです。ゆるんだ身体をしている人物はお腹まわりが締め付けられていない体型をしていて、むしろ寸胴気味なのです。
先ほど締まった身体と言いましたが、締まった身体と言っても、実は良い意味と悪い意味があります。
悪い意味で言う「締まった身体」とは、腹筋や背筋といった外側の筋肉で締め付けて、身体の可動性を奪っているような身体のことです。
実際の超一流のスポーツパーソンでは締め付けられている体型の人は全くといっていません。
逆に良い意味での締まった身体というのは、インナーマッスルが締まっている身体のことです。このような体では横隔膜筋がよく収縮して下がることにより、腹筋のあたりは前後左右に大きくなり、外側からは締まって見えません。むしろ寸胴な体型をしています。
有名選手の写真は肖像権の問題があってここには載せられませんが、例えばメッシなど一流選手の写真は検索すれば簡単にみることができます。もちろんサッカーだけでなく、NBAで「キング」と言われるレブロン・ジェームズや同じレイカーズで現在(2023年2月)大活躍中の八村塁選手もほとんどドラム缶(!)と言っていいほど寸胴な体幹部をしています。
種目ごとの違いもありますが、自分の好きな選手の写真をそう言う観点でご覧になってみるのも良いと思います。
アメリカンプロレスに見られる体型
ちょっとマニアックな話なのですけど、「魅せる」ことで有名なアメリカンプロレスの世界は、基本的に優秀なアスリートが揃っているのですが、中でも早い段階からプロレスを目指してきた人と、他のスポーツから入ってきた人では体型が違う傾向があります。早い段階からプロレスを目指したきた人はどちらかというとコミックのスーパーマンでみられるような、胴回りが細くて胸回りが大きい体型をしています。他のスポーツである程度活躍をしてから入ってきた人は寸胴に近い体型をしているのです。
これはアメリカで求められているヒーローの体型というものが、スーパーマンで代表されるような中丹田が格別に大きく、腰が締まったシルエットという事に由来すると思われます。アメリカンプロレスの魅力は屈強な身体を持ったスターたちが繰り広げる「演技空間」です。
エンターテインメントとして発達した競技ですから、ヒーロー(ヒール役も含めて)として体を鍛えた人物はスーパーマンのような体型をしていて、元々アスリートとして体を鍛えた人は腰回りが太い、という事なのでしょう。
こういうところでも理想とされる体型の違いの例がわかりますよね。
3.フワ系ゆる体操の身体
さて、この二人の人物(?)の身体をもう少し詳しく見ていきましょう。
次の写真をご覧ください。
あまり見られることがないと思いますが、ミロのビーナスの背中の写真です。
一見してどう思われますか?
いわゆる現代のモデルが背中を反らして「ポーズを決める」ような姿勢とはまるで違うことがお分かりだと思います。何気なく、スッと立ち上がっている感じは確かにありますが、背中だけを見れば普通の「良い姿勢」と比べてむしろ猫背気味とすら感じられる姿勢です。ただし、前から見ると猫背ではありません。
という事は前から見ても後ろから見ても縦方向に丸みのある体幹部をしているという事です。
そしてもう一つ見ていただきたいのは背中が横に広がった「まるみ」の表現です。
しっかりと開いた背筋の持ち主でありながら、若干猫背気味にも見える縦方向の「丸み」と横方向に開いた「丸み」により、ミロのビーナスが大変にゆるんだ「フワ系ゆる体操の身体」の持ち主であることがわかります。
「フワ系ゆる体操の身体」とはゆる体操の「胸背フワ」「腹背フワ」「腹腰フワ」「脇フワ」で目指すような体幹が上下左右前後に柔らかく開いたような身体のことですね。
フワ系のゆる体操を思い出してください。必ず前側だけでなく、後ろ側も
「フワーと言いながら気持ちよく広げ開きます」
と言うリードが入っていますね。
胸背中・腹腰が開いていると言う身体はこのような感じなのです。
また、このような開いた体幹は呼吸法でも鍛えることが出きます。呼吸法の面から見ると、胸背呼吸、腹腰呼吸ということになりますね。
この辺りの話題をさらに詳しく知りたい方は高岡英夫先生の著書「呼吸五輪書」をぜひご覧になってください。
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また、ミロのビーナスにしてもアレクサンドロス3世にしても、二人の立ち姿は現代で見られるようないわゆる「決めポーズ」とはかなり違う感じがします。
しかし二人とも決して腰や背中を反らせたりしない、体幹が開いた、極めて自然なポジションのポージングであるのがわかると思います。
4.作家の身体意識
さて、これまでこの彫像で作られた二人があたかも現在生きている人間のような言い方でお話してきましたが、実際はアレクサンドロス3世の彫像も、ミロのビーナスの彫像も作家の作品であり、結局のところ、作家自身の認識、身体意識を反映しているものというしかありません。
つまり、この二人の彫像を作った作家が共にこのような体幹の人物を、美の女神や最初の世界帝国を作った「大王」として相応しい人物の在り方として認識していたということなのです。
さらにはこのような身体の表現をするということは、作家本人が間違いなくこのような開いた丸い体幹部の持ち主であったと言えると思います。
たとえ「前後左右に開いた体幹が良い身体である」ということを知識として知っていて、そのような人物をモデルとして作品を作っても、実際にそれを表現できているかどうかは自分の身体がそうであるかに大きく左右されます。
人間は結局のところ、自分の身体を通じてでしか物事を認識できないのです。
私もミロのビーナスは当然子供の頃から知っていたのですが、アレクサンドロス3世の姿というのは有名なローマのモザイク壁画のイメージしかありませんでした。
ですので、このアレクサンドロス3世の彫像をネット検索で見た時、ほぼ見た瞬間に
「あれ?ミロのビーナスに似ている!?」
と思ったのです。
そこでさらに調べてみたところ、二つの彫像が同じ「アンティオキアのアレクサンドロス」という人物に作られたのではないか、という話があることも知りました。
もっともこれについては「アンティオキアのアレクサンドロス」という人物自体が、生年没年からしてはっきりしない存在ですので、諸説あるようです。
しかし、私はこの二つの彫像は同じ人物、少なくとも同じ派の作家によって作られた可能性が高いと考えています。
なぜならばこの二つの彫像には分厚くて筒状をしている体幹部を持っているという、同じ身体意識の傾向が見られるからです。
少なくとも、そのような想像(妄想⁉)を働かせながら作品を鑑賞するのも楽しいと思いませんか?
5.時代の身体意識
しかし、もし作家がこれが良い、として作ったとしても、それがその時代に受け入れられなかったら意味がありませんが、これほどの技術をもった作家が作った作品が少なくとも低い評価を受けるとは考えにくいですので、結局このアレクサンドロスやビーナスの彫像に表現されるような、巨大な体幹部の持ち主、それこそが良い身体という価値観がその時代を支配していたと考えられるのです。
アレクサンドロスがどのような身体をしていたかは今となっては知るよしもありませんが、この彫像が作られた時代は少なくともアレクサンドロス3世が生きていた時代から200年程度は経っていると思われますから、この作品を作った作家はそのような価値観の時代に生きていたと言えると思います。
そしてこれは男女に限らない優秀な人間の身体の普遍的な特徴といえますから、ミロのビーナスの身体もそのような表現になっているのだと考えられます。
なにしろ、ビーナスは美の女神ですから、これが美しい体だ、という確信がないとこのようなボディラインの人物としては製作しないでしょう。
ちなみにミロのビーナスと同様に有名な「サモトラケのニケ」もほとんど寸胴と言ってよい非常に分厚い体幹部をしています。
これらは女性としてふっくらした体をしているという話ではなく、脂肪層の下にある体幹部そのものがそもそも非常に分厚いのです。
あらためて上の写真みても、バストの部分を除くとほぼ寸胴であるのがわかると思います。
ですが、体型として恰好が悪いかというと全くそうではなく、やはり誰が見ても美しいと思える体なのですね。
6.優れた身体の証拠
呼吸の能力が優れていると、さまざまな困難に対してそうでない人物に比べて余裕を持って対処することができます。
このように丸くて分厚い「寸胴」の体幹が良いものとして扱われた時代は、今とは考え方は違っても、優秀な人材に溢れていた時代だと読み取ることができるのではないでしょうか?
例えば日本の江戸時代は、その時代の浮世絵や絵画によって非常に身体がゆるんだ人物で溢れていたことが運動科学者の高岡英夫先生の研究でわかっていますが、我々でも各時代の作品から当時の人間の身体意識を類推することは可能です。
浮世絵の身体については・・・
実際に高岡英夫先生は武術家でもあったお父様から「使える体は寸胴だ」といったようなことを幼少の頃から言われていたそうです。
これらのことから考えても、やはり大きく、上下前後左右に広がった体幹こそが優れた身体と言えそうですね。
振り返って現代を見てみると、優秀なスポーツ選手は当然のようにそのような身体をしていますが、アートとなるとそのような認識の作品があるのでしょうか?
そもそも現代アートはそのコンセプトにより評価される場合が多く、「生の身体」が芸術であるという感性はもうかなり前に失われてしまったような気がします。
確かに芸術において、単純にリアルな造形をめざせば、最終的にこの時代の彫刻やミケランジェロが対象になってくるので、すでにこのスタイルの彫刻自体が人類として頂点を極めてしまっていて、ある意味「やりつくした」と言えるのかもしれません。
しかし、そもそもミケランジェロの作品自体が、ヘレニズムの彫刻から影響を受け、それを自分なりに表現し直したもの(本稿の視点でみるとダビデ像の体幹部はアレクサンドロス3世の体幹部とはずいぶん違います。これも時代の価値観によるものなのでしょう。)で、死後数百年経った現代でもリアルな身体彫刻として歴史上最高の評価を得ているわけですし、アンティオキアのアレクサンドロスやミケランジェロ以上の身体意識を持ってしまえば、ダビデ像やミロのビーナス以上の作品を作ってしまう事ですら非常に困難とはいえ、不可能ではありません。
とは言え、ミケランジェロの身体意識は以下の書籍で発表されているとおり、とてつもないものです。
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このような存在を超えることは容易ではありませんが、それよりも私は要するに評価する側が彫刻におけるリアルな身体の表現に「飽きている」ので、彫刻家としてはお金にならないというだけなのだと思います。
芸術における流行り廃りはよくある事なので、私は現代の混乱が一段落した後にもう一度「身体性の復元」の時代が訪れると思っていますがいかがでしょうか?
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