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あらゆる人間活動を繋ぐもの

ゆる体操、ゆるトレーニング愛好者の皆さんこんにちは。
このサイトを訪れてくれている方はおそらくゆる体操の愛好者でしょうから、人間の体に何らかのご興味がある方が多いと思います。

ところで体というと古くから日本語では何かを深く理解したり、十分に技術を会得したりすることを

「体で理解する」という言いますね。

「体が理解する」といったりもします。

一般的には「物事を深く理解するという意味で」つかわれているようです。

このように日本では体を使うことと、あらゆる分野での物事の認識や技術の習得にはなんらかの関係があるということを古くから認識していたようです。
ただしこの言葉のままではそれがどういうメカニズムなのかまでは教えてくれません。

今日はあらゆる人間活動と体、そして体の奥にあるものの関係について、ゆる体操とそのベースとなっている運動科学の視点から少し考えてみたいと思います。

この文章はこんな方々のために書きました

  • ゆる体操をもっと深く知りたい方
  • ご自分の専門分野での能力を上げたい方
  • 色々な分野の関連性に興味がある方
  • 身体意識に興味がある方

1.人が行動するときは必ず体がかかわっている

人間が行動する時、また何かを表現する時、体が全く関係がないというものはないと言って良いと思います。

こういってしまうと

「実際に体を使わない分野もたくさんあると思うけど?」

と思う方もいると思います。

例えば一見体と直接関係なさそうな芸術や文芸と言われる分野などはどうでしょうか?

絵画の場合

絵画などは、いくらイマジネーションが大事だといっても、現実的には製作者の中にある感覚や表現の欲求がペンや筆といった媒体を通して手によって表現されるものです。
ですからその結果としての作品は端的に手や腕の能力に左右されてしまいます。

逆に自分が自分の体で表現出来ないレベルのものは作品としては現れないので、絵画の世界は表現そのものが身体と大きな関わりを持っていると言えます。

ということで絵画などの分野と体とのかかわりについてはわかりやすいと思います。

音楽の場合

音楽も同じで、特に演奏は楽器を通してその人の身体によって表現されるものですから端的にその人の体のあり方が重要になってきます。

作曲でも結局はその人の音感、リズムなどは身体による経験をもとに作られるものですからこの意味では演奏と全く同じと言っても良いでしょう。

これは楽譜をそのまま音にできるアプリケーションで音を鳴らしてみればわかることですが、楽譜そのままの演奏だといわゆる古今東西の名曲と言われるものでも本当に味気ないものでしかありません。

楽譜に記号として表現されているものは作曲家にとって表現したいことのほんの一部でしかなく、その向こうに作曲家が楽譜では表現しきれない膨大な情報があり、ジャズやクラシック音楽の演奏家の仕事とは、楽譜という非常に限られた条件のもとで作曲家が表現したかったものを読み取ることともいえます。

結局のところ楽譜で表現しきれない部分は自分の体が記憶していたり表現できること以上のものは表現出来ないわけですから、やはり音楽と体の関係は否定出来ないところだと思います。

文章の場合

文章にしても結局のところ同じことが言えます。

まず以下のシチュエーションを想像してみてください。
何かに時間を忘れるほど集中していて不意に今何時かと思って時計を見たとします。
この時の文として

「時計を見たら0時だった」

と書くのと

「時計の針は0時を指していた」

と書くのでは受ける印象は全く違います。

最初の文章では(省略されていますが)主語は「私」です。ですからより「(自分が)時間が気になって時計を見た」という点が強調されます。

それに対して二つ目の文章では主語は「時計の針」です。

人によって感じ方はさまざまでしょうが、「時計の針が0時をさす」という言い方では、自分が主体となる時計に対して対照化されることで時計との距離感が感じられるようになり「時計がある部屋」というある種の空間性をより感じさせる表現といえます。

さらに、「自分」という動的な存在に対して「時計」という静的な存在を主語にすることで時間に対する感覚がまた違う感じになったりもします

このように言葉も楽譜と同じく文字という記号が表現しているものはほんの一部でしかありませんが、その奥に膨大な世界があり、例えば先ほどの時計の表現では、主体と客体によって空間の感じ方が違ったように、一見体とは関係なさそうな「文章」というジャンルにおいても言葉をどのような意図で伝えるかどうかは、その人の空間や時間の記憶というある種の身体性に潜在的に左右されている訳です。

最初の話に戻りますが、古来より

「体で理解する」、「体が理解する」

という言葉で表現しようとした事は、運動以外の思考活動でもよく使われていることを考えると、やはり物事の認識と体はなんらかの関係があるとみた方が良さそうです。

しかし実際に体を動かすスポーツや、技術の習得が必要な職人分野では分かりやすいとしても、単純に体という視点で本当に文学とスポーツを同一に評価することができるのでしょうか?

このような状況ではもう少し抽象的な概念で考えたほうが良さそうです。

なぜなら思考や概念を抽象化したほうがより広い分野の現象を説明できることがあるからです。

2.抽象的な概念の方がより多様な世界を説明できる

例えば下の写真をご覧ください

リンゴ

これはなんですか?と聞かれたら皆さんなんと答えますか?

そうですね。これは「りんご」です。

しかし一方で「果物」であるとも言えます。

もっというと「食べ物」と言えるかもしれないし、さらには単に「物体」と言えるかもしれません。

「果物」というカテゴリーで考えるとみかんもぶどうも果物なので全く味の違う食べ物を果物という概念でまとめて説明できることになります。
さらに「食べ物」というカテゴリーで考えると野菜や肉、さらには加工済みの食材も含めてもっと広い範囲のものをまとめて説明できますね。
「物体」という概念で考えると地球や太陽とりんごも同じものと言えるようになります。

このようにより広い範囲を網羅した抽象的な概念を使うと全く別のものも同じものとしてまとめることができるようになるのです。

ただし、より抽象的になればなるほど一見わかりにくいということになります。

「りんごと地球を同じ概念で説明してください」

と言われても一休さんに登場してもらったほうがよさそうな感じもしますね(笑)

しかしこの考え方は様々な応用ができ、数学や物理学の世界ではより抽象的な概念を定義して別の分野の事象を同じ概念で説明しようとする試みがよく行われています。

3.あらゆる人間活動を繋ぐものは実は体そのものではない

このように考えてみると、「体で理解する」というときに言いたかったこと、というのは体がかかわっているのは間違いないとしても

「体そのものよりももっと抽象的な何か」

と言えそうな気がします。

と言ってもそのままではあまりにも漠然としすぎていて何がなんだかわからないという感じですね。

運動はまだしも、身体が表現活動や思考活動に具体的にどのように影響を及ぼしているのかについて、人類は研究の糸口すら掴めていないような状況でした。

しかしそれも運動科学者の高岡英夫先生の研究によって明らかにされようとしています。

それによると様々な人間活動を繋いでいるインターフェースとなるのは実は体そのものではなく、五感の一つである体性感覚によって形成される意識、身体意識であると言われています。

先ほどの時計の文章の例でいうと、文章から感じられる空間性や時間性というのは、作者の身体そのものではなく、身体をベースに展開(運動科学では正確には”展在”といいます)される身体意識だったという考え方になります。

一般に文章で「身体」といっても文章のそばに実際に作者の身体があるわけではありませんから、文章という実体がないものに「存在するような実体感」を与えてくれるものが作者の「身体意識」であると考えるとむしろそちらの方が腑に落ちる気がします。

小説でも映画でも本当にそれがその場で起こっているような感覚を感じさせてくれるものがより人気が出たり評価されたりしますが、これは作者の臨場感、すなわち空間性・時間性が作者の身体意識を通じて読者、視聴者に伝わっているといえるでしょう。

しかし身体意識の影響は時間性・空間性だけにとどまるものではありません

作者と作者によって生み出された登場人物の身体意識が、文章という具体的な手段を通して読者・視聴者に伝わっていると、まさに生の感覚として

「その人がその場にいるように」

感じられると考えられます。いわゆる

「キャラが立っている」

という言葉で表現されることですね。

了平コラム
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登場人物の身体意識

登場人物の身体意識というのが分かりにくいという方はこんな話はいかがでしょうか?
主に西洋の歴史を題材とした小説で有名な作家、塩野七生さんがNHKの「100年インタビュー」で語っておられた話です。
彼女はまず原資料や二次的な資料に当たって登場人物のことを徹底的に研究するらしいですが、研究が進むにつれてより登場人物がリアルに感じられてくるそうです。
そして彼女の大作「ローマ人の物語」でユリウス・カエサルの巻を執筆しておられた時のことですが、深くカエサルの研究に没頭していくうちに
「彼の腕の血管まで(実感のように)感じられた」
ということを言っておられました。
これは2000年前にすでに死んでいるカエサルという人格に資料を通じて肉薄するうちに、塩野七生さんの中でカエサルの身体意識が(映像的なイメージを超えて)あたかも実体として感じられたということなのだと思います。
身体意識は身体を媒介として成立する空間性を持った意識なので、実体として感じられるという事が起こりうるのでしょう。
「ローマ人の物語」全10巻を読んでみると、やはり一番面白いのはカエサルが登場する巻なのですが、その巻ではカエサルをはじめとした登場人物が「まるでその場にいるかのように」、実体のように感じられます。
これはずっと昔に死んでしまったユリウス・カエサルが塩野七生という作家を通じて身体意識として現代に現れたということが言えるのかもしれません。

実は全く同じような話を高岡先生が「マルクロ武蔵論」という文章の中で語っておられました。ご興味のある方はぜひご覧になってください。

少し話がそれましたがこのように身体というものを全ての人間が持っている以上、身体意識も(存在に気付きにくいとはいえ)誰でもが持っているわけで、およそ全ての人間の活動にまたがる重要なファクターになると考えられるのです。

そして身体意識の発見者である高岡英夫先生が作った「ゆる体操」は実は身体意識の理論をベースにして設計されている体操です。

こういった内容はゆる体操の中級教室になると少しずつ顔を出してきますが、ゆる体操の重要な効果の一つとして、「よい身体意識が身につく」というものがあります。

身体意識は体性感覚をベースにして出来ている意識系なので体を動かす「体操」という形で良い身体意識を身に付けようというわけです。

ゆる体操が身体意識をベースに設計されている以上は続けていると無意識のうちに良い身体意識が身についてくるというわけですね。

了平コラム
Topics

身体意識にも良い悪いがある?

先ほど「良い身体意識」という言葉を使いましたが、身体意識にも良い悪いがあります。
さらにもっというと空間性を持った意識なので具体的な形もあります。
良い身体意識とはその人がより快適に感じられるものを言います。
代表的なものは軸(=センター)や上中下の丹田などです。
これは古くから日本の武術や技芸で言われていたものですね。
一般に良い身体意識は形が明確なものが多いです。
軸は直線状の形をしていますし、丹田は基本的に球形です。
運動科学では良い方向に極まり、さらに形状がはっきりした方向に極まった身体意識を「極意」と定義しています。

良い身体意識ができてくると自然と色々な分野のものが少しずつ自分の身体意識を通じてわかるようになってきます。

最後にこのことについて現時点での自分の感覚も交えてお話ししたいと思います。

4.身体意識でパフォーマンスを見るということ

これは優秀なスポーツのコーチが他の人にはわからない選手の問題点を見抜き、改善の指導をすることと全く同じで、専門分野の人には専門外の人が見えないことも見えるというのはご理解していただけると思います。

これを具体的な分野で見てみましょう

例えば野球などはわかりやすいと思います。
「投げる」という動作では腕をより深いところから使えているほうが圧倒的にパフォーマンスはよくなります。
手先だけでなく上腕から肩、さらには肩甲骨・肋骨が使えているかという視点でパフォーマンスを見るということですね。

ゆる体操でいうと肩甲骨モゾモゾ体操や胸フワ背フワ体操などで肩甲骨や肋骨を使う身体意識が育ってくると(例え自分が野球をできなくても)その人がどれぐらい深いところから腕を使えているかどうかがわかるようになります。

肩甲骨が使える身体意識が身につく「肩甲骨モゾモゾ体操」

しかし、野球に限らずあらゆる手を使う分野で実は同じことが言えるのです

絵や書の世界でもより深いところまで腕が使えているかということは、表現にとって重要な対応関係になります。手先だけでなく肩甲骨、肋骨まで使えている(つまり肩甲骨・肋骨を使う身体意識が発達している)と、使えていない人が出来ない筆使いが可能になるので、それに対応したより深い表現が可能になります。

これはちょっとするとわかりにくい感覚かもしれませんが、使える関節の数が増えたほうがより複雑な動きができるから、と単純に考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

例えば人間の腕に似せた機能を持たせた、字を書くロボットを作るとします。
(そのようなロボットを作る意味があるかという事はとりあえず置いておきます)

極端な例ですが、腕に関節が二つ(肩とクルクル回る手首)しかないレゴブロックの人形では字は書けません。
そこまで極端でなくても字であることがわかる程度の機能なら実際は関節の数はわずかでよいでしょう。

しかしロボットに筆を持たせて名人と言われる人の書をコピーするとしたらどうでしょうか?
できるだけたくさんの関節があったほうが色々な動きに対応できそうな気がしますよね。

実は名人と言われる画家や書家は常に肩甲骨や肋骨を使わせる身体意識(「ベスト」や「肩包体」と呼ばれています)があるので、筆を使う時に自然に肩甲骨や肋骨まで使えているといわれています。

逆に言うと20年以上ゆる体操をやっていて思うことは、優秀な方々は肩甲骨や肋骨を動かす強い身体意識があるので、何かにつけて無意識のうちに肩甲骨や肋骨を使ってしまうということなんですね。

昔の日本画では西洋絵画のように線を継ぎ足していくという技法が基本的にありませんので、歴史に残るような絵師は超絶的な技巧を持っていました。

「肩甲骨や肋骨を使わないとこの線は書けないだろうな」

と思うわせるような筆遣いを古い日本画には見ることができます。

このように身体意識は、あらゆるの分野の(一見パフォーマンスに関係なさそうな)より抽象的な部分をつなぐいわば接点となっているので、ゆる体操の代表的な効果として身体意識を認知する能力が育ってくると、自分の専門外の分野でも身体意識を通じてどういうパフォーマンスが行われているかはなんとなくわかるようになってくるのです。

(もっとも当たり前の事としてどれぐらいわかるかという程度の問題はあります)

5.まとめ

そろそろ話をまとめたいと思います。

「体で理解する」というのはおそらく「身体意識で対象を理解する」といった事を本来は言いたかったのではないかと思います。

さらに「体が理解する」というのは「その運動を行うための身体意識が形成されている」状態と言えるのではないでしょうか。

そして思考も身体意識の影響を受けますので、物語のキャラクターにも(キャラクターなので身体はありませんが、もし実在したとすると)相当する身体意識があって当然ということになりますね。

ましてや過去の人物には実際に体があったわけですから、塩野七生さんのようにカエサルの腕が実体として感じられるほどであれば、その分身体意識も(少なくとも潜在的には)感じられているのだろうということになります。

  • 人間には体性感覚をベースとした意識「身体意識」がある
  • 身体意識は人間活動を繋いでいるベースとなっている
  • 身体意識の良し悪しがパフォーマンスの良し悪しにも影響している
  • 知的活動も身体意識の影響を受ける

当然のことながら、いくらゆる体操が上達して身体意識で色々な事が見えるようになっても、専門分野特有の知識やノウハウという「具体力」を知らないと、即その分野で役に立てるわけではありません。

そもそもこういった考え方自体が評価されるには、前提として身体意識の理論自体が広く受け入れられる必要があるのですが、身体という誰にでもあるものをベースにして存在する、これもまた誰でもある意識の理論ですから、近年になり少しずつ各界に受け入れられようとしていると私は感じています。

何より身体意識で物事が認識できるようになると、色々なものに興味が持てますし、それが人生に広がりをあたえてくれるので本当に楽しいものです。

そしてゆる体操という一見簡単な体操の中に、このように非常に広く深い効果が隠されているのです。

ですから皆さんもゆる体操をやっていただいて楽しい人生の一助にしていただければと思っています。

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