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ゆる体操指導員の日常 中田ひろこ(65)
8月15日 木曜日
今日は不覚にも胃痛を起こして、撮影の予定をキャンセルした。昨日、語学を頑張りすぎたからだと思う。またやりすぎてしまった。
私は胃腸が子供のころから弱くて少食であるにもかかわらず、外出先で出された食事やお弁当は余程のことがない限り残さずいただく。大学時代は一年間学生寮にいたが、食堂のごはんはいつも残さず食べていた。周りの学生は不味いと不満を言いながら残す人が多く、「こんなものをよく残さず食べられるね」と声をかけられたこともある。
就職後の新入社員研修で出る食事も、ごっそり残す人が多い中で私は毎回完食していた。
それというのも、幼いころから食事どきに母(昭和8年生)から、「食料補給の船が全部沈められて、兵隊さん達はかわいそうに食べる物が無くて死んだんだから、それを思ってありがたくいただきなさい」と言われて育ったからだ。
母は農村育ちだから戦争中も食料事情はまだマシだったのだろうけれど、父(昭和3年生)は神戸育ちでずいぶんひもじい少年時代を送ったようだ。木の中の虫まで捕って炒って食べたという。終戦時は17歳で予科練生だったが、一般人よりは少しは良い食事が出たのだろうか?
あとほんの少し戦争が長引いていたら、特攻隊として出陣していたに違いないし、私もこの世に生まれていなかったわけだ。
高岡先生が以前、昭和ヒトケタ生まれの人々の体の強さ、逞しさを賞賛して語られたことがある。「あの人たちは根性が違う」とおっしゃった。「根性」という言葉。
その言葉をかみしめつつ、この日を終わりたいと思う。
またこのことは、自分の子供達にも確実に伝えたい。